生徒から「先生の脚本はいつドラマになるの? 」と言われて…

「テレビドラマの脚本家になれるんだ! と思って夜行バスでテレビ局に行ったら、授賞式でプロデューサーから“地方に住んでいると脚本家になるのは難しいですね” と言われてしまいまして。
 当時高校の講師をしていたんですが、淡路島に帰ってきて、授賞式に行くことを伝えていた生徒から、 “先生の脚本はいつドラマになるの? ”と言われて思ったんです、“田舎に住んでいるからダメだと言われたということを、ここで生まれた子たちに言っちゃダメだ。自分たちの生まれた場所を、ハズレだと思わせたらダメだ” と」

 湊さんは生徒たちに「第1席の賞じゃないから映像化されないけど、でも、書くことで成功するよ」と伝え、有言実行を果たすこととなるのだ。

「そこが一番大きな転機かなと思います。“東京に住んでいないとダメだよ” という言葉があったからこそ、絶対に上京せずに地方で成功してやる! と意地になれたんですよね。それに、もし東京に住んでいたとしても、 都合のいいプロットライターをさせられていたかもしれません。受賞作よりおもしろいものを絶対に書こうとも思わなかったかもしれませんし、そうなったら『告白』も生まれなかったかもしれません。
 そもそも『告白』を書いたのは、プロデューサーの言葉が悔しかったからなんです 。よく脚本の教本テキストに“3行以上の台詞を書くのは控えましょう。役者が演技をする上で、1人が長いセリフを喋るとドラマとして成り立たないから” と書いてあったから、よし、一人が喋り続けるような小説を書いてやろうと思ったんですよ」

ーー『告白』の第一章は教師による “独白” で物語が展開されますもんね。

「テレビ局が手に負えないような、喋り続けても面白いから成立している話を書こうと思いました。その結果、ありがたいことにデビュー作がヒットし、絶対無理だろうと思っていた映像化も中島哲也監督に実現していただきました」