デビュー前に雑誌の表紙が決まった
「僕らが出るちょっと前から全国で放送されるようになったんですけど、『イカ天』って最初は東京ローカルだったんです。そういうタイミングもいろいろあったとは思うんですけどね」
番組内容を簡単に説明すると、毎週10組のインディーズバンドが登場し、音楽評論家やプロのミュージシャンたちが務める審査員の審査を勝ち抜いたバンドがチャレンジャー賞を獲得する。そして前回のチャンピオン(イカ天キング)と対決し、勝った方が翌週の「イカ天キング」となる。キングが5週勝ち抜くと「グランドイカ天キング」となり、メジャーデビューが決まるというシステムだった。
1989年11月11日放送の番組で14代目のイカ天キングとなった「たま」は、その後も快進撃を続け、見事に5週を勝ち抜いて3代目グランドイカ天キングとなり、メジャーデビューを果たした。
「いやー、戸惑った。とりあえず戸惑ったよね。“どういうこと、これっ?”ていう、なにかと見られてるっていう感じですかね。実際、メジャーデビューはいろいろ準備もあるので、半年くらいあとだったんですけど、その前に『イカ天』の3週目くらいのときに雑誌の編集部の人から連絡があって、メジャーデビューより前に『少年サンデー』(小学館)の表紙をやったり、もう川崎製鉄のCMに出たりとか大変な騒ぎでした」
デビュー曲の『さよなら人類』は、オリコン初登場1位、60万枚の大ヒットを記録。宝酒造「純アレフ」のCMソングにも採用された。90年の元日には、前日に行なわれた「第31回日本レコード大賞」のセットを流用して日本武道館で開催された「輝く!日本イカ天大賞」にも出場し、大賞を受賞。その年の大晦日にはNHK紅白歌合戦にも出場した。
「たま」は、その個性的な楽曲やファッションから、イカ天ブームを象徴する存在として様々なメディアに取り上げられた。石川さんは、このときの嵐のような日々を振り返り、「特殊な2年間」と表現する。
「自分たちがやってる音楽はもう全然アンダーグラウンドの感じだと思ってたから、『イカ天』に出たときも、それで売れてやるとか、紅白出てやるっていうか、そういうものは何もなかったんです。
売れたときも、最初からこれは一過性のもので、本来そういう音楽じゃないしって言ってたから、そこは結構メンバー内で確認し合ってました。こんなのに浮かれるのはやめよう、落ち着こうというのを、お互いメンバー同士で常に確認し合っていて、“やりたくないことはあまりやらずにいこう”とか、“ここはちょっと妥協してやっとくか”という。そういうのもバランスをとりながらやっていました」
時代の寵児となったことで周囲はガラリと変わったというが、本人たちの音楽に対する姿勢は変わらず、状況をいたって冷静に捉えていたのだ。
■石川浩司(いしかわこうじ)
1984年に知久寿焼、柳原幼一郎と「たま」を結成。担当パーカッション。86年に滝本晃司が加わり4人体制となり、89年のイカ天出演を機に90年にメジャーデビュー。オリコン初登場1位、紅白歌合戦出場など、快進撃を遂げる。2003年の「たま」解散後も精力的に音楽活動を続け、2021年に還暦を迎えた。2023年3月、2004年にぴあから出版された『「たま」という船に乗っていた』の増補改訂版が双葉社から刊行。webアクションにて漫画『「たま」という船に乗っていた』(原作担当/漫画・原田高夕己)を連載中。