見えないなにかが繋がっていったのかなと

 ふたりが最初に訪れたのは、吉井さんの故郷である静岡県だった。冒頭、実家で母に会い、26歳で亡くなった父に手を合わせた。

「2022年1月のソロツアー中に喉に異変が起きて、ライブが中止になってツアーが中止になって。急遽、事務所のボスから"ドキュメンタリーを回しませんか。おもしろい監督がいるので”と話があったのがきっかけでした。それで監督とお会いして、そのあとLINEを交換し、“今度、静岡に行くので、その辺の僕のライフワークから撮ってみますか?”と提案したんです」

©2025「みらいのうた」製作委員会

 さらに“ロックスター・吉井和哉”の原点とも言えるURGH POLICE(アーグポリス)のボーカルであるEROさんに会いに行った。EROさんとは喫茶店のバイトの先輩・後輩として出会い、吉井さんは10代でURGH POLICEにベーシストとして加入して以来、定期的に会っているという。

「僕をこの世界に導いてくれたEROさんはフォトジェニックな人だし癖も強いし、おもしろくなりそうだなと思ったのと、EROさん、この撮影の半年くらい前に脳梗塞で倒れたんです。生活も大変だったから、なにか援助ができるかなと思って監督を連れていったんですよ。そこで監督が、EROさんに釘付けになっちゃった。“これはおもしろいものができそうだな!”と半年回し続けていたとき、今度は僕のがんが発覚したんです。僕とEROさんが同じステージに立った。そこからたぶん、回り始めた」

 誰かが脚本を書いたとしか思えないめぐりに、吉井さん自身も「不思議な気がする」と話す。

「母親は若くして大好きなパートナーを失ったので、その存在をキープしたくて家に仏壇を置いたんだと思うんですが、うちでは"仏壇に手を合わせろ”というのが習慣になっていました。父親は夏に死んだんですけど、小学生のとき、夏によく怪我をするようになって。母親が“手を合わせないからだ”みたいな。そんななかで自分も手を合わせるようになって、たとえば願い事があったりTHE YELLOW MONKEY結成時とか曲作りに詰まったりすると、父親に手を合わせる、というのは日常的にしていたことで。そういうのってまるで祈りというか、神様的じゃないですか。
 そういうことをずっと続けてきたし、見えないものへの興味や畏怖もあるし、希望もある。今回は、そんな見えないなにかが繋がっていったのかなという気がします」