「方向転換しよう」と思えた母からのひと言

――演技の道に進んだのは、お母さまの影響?

「いえ、私は母の仕事内容を知っていましたが、母はその片鱗を一切見せないように生活していました。ただただ普通に、私と弟にとっての“お母さん”として育ててくれました。テレビで流れると“あっ、お母さんだ”となるくらいで。演技論の指南なんていうのも、もちろんなかったし」

――あえて、でしょうか。

「かもしれません。興味を持たせないようにしていたように思います。母に聞いたら“ああ、この道に進んじゃったか……”と言いそう(笑)」

――では、お母さまの影響ではなく、自発的に進んだんですね。

「大学時代に映画を撮っちゃったのが運の尽きですね(笑)。高校生の頃から演技がしたかったんですが、それには大学進学が条件でした。
 進学して、お芝居する場所を探していたところ、“それなら自分で撮っちゃったほうが早くないか?”という感じで撮り始めたんです」

――どんな映画を撮ったんですか?

「話すに及ばない内容ですが、4年間で4本撮りました。当時の仲間たちとは今も仲が良くて定期的に会うんですが、初心の情熱を思い出させてくれます」

――そして大学卒業後は映画製作に携わり、その後、俳優になるわけですが、どこに転機があったんでしょう?

「25〜26歳頃です。事務所になかなか入れなくて、現場で助監督をやっていたら映画が作れる、好きなことが続けられる……ということで助監督をやっていましたが、精神的にだいぶ落ち込んでしまって。体調を崩して寝込んだことがあったんです。
 そのときに、母が“本当は何がやりたいのか、思い出したほうがいいんじゃない?”と言ってくれて。“私は、本当にやりたかったことに近づけたのか?”という自問自答の答えが明確になり、母のひと言で“助監督を辞めて、方向転換しよう”と思えました。母には本当に感謝しています」