1981年に東海テレビ入社。アナウンサーを経てドキュメンタリーの制作に携わり、ディレクターやプロデューサーとしても多くの番組を手がけてきた阿武野勝彦。現在はフリーの映像作家として活動する彼のTHE CHANGEとはーー。【第2回/全2回】

阿武野勝彦 撮影/大塚百輝

 東組清勇会に取材して組員の日常を描いた『ヤクザと憲法』ではヤクザに脅され、警察に脅され、両サイドから責められました。大阪府警の四課から直接電話があり、「上映をやめてくれ」と大揉め。ヤクザより警察が怖いと思いましたね。警察のクレームに正当な論理はなかったです。要は「自分たちが映り込んでいるのがイヤだ」と。われわれの取材を知らないまま清勇会に家宅捜索をかけて、その様子が映された。それが大問題になったんです。

 しかし、『ヤクザと憲法』の苦労も『さよならテレビ』で味わった内部のいざこざに比べると軽いものでした。生放送の番組内で誤って「怪しいお米 セシウムさん」という原発事故をネタにしたかのようなリハーサル用のテロップを流してしまった。東海テレビの内部にカメラを向ける映画でした。

 私たちは、自分たちが所属する組織の裏切り者になりました。撮影中も冷たい視線を浴びるし、OB会では罵られたり……しかし放送法に反しているわけではないから、上層部も止められない。「なんとなくイヤだ」と「なんとなくヤバい」という空気のまま、暴走機関車のように撮影は進みました。

 『さよならテレビ』はディレクターの土方の企画で、正直「やめてほしいな」と思いましたが、あの企画にノーと言ったら、自分はテレビのプロデューサーでいられないと、覚悟を決めました。撮影することで、実際いろんな人を傷つけました。でも、我々も取材の中で多くの人たちを傷つけてきたじゃないか、その現実に直面しようよという思いで作ったのが『さよならテレビ』です。