三宅裕司、72歳。喜劇役者、司会者、ラジオパーソナリティ、そして劇団主宰。驚くべきバイタリティとマルチな才能で多様な仕事をこなす……そんなイメージの三宅さんだが、これまでの芸能生活で、人知れず苦悩を抱えたこともあった。人生を変えたTHE CHANGEとはーー。【第5回/全5回】

三宅裕司 撮影/川しまゆうこ

 神田神保町で生まれ、幼少期から日本舞踊、三味線などの芸事に接してきた三宅裕司さん。明治大学落語研究会では4代目「紫紺亭志い朝」を襲名し、その名は5代目が立川志の輔さん、6代目がコント赤信号・渡辺正行さんが受け継いだ。

 東京の笑いを体現する存在として、テレビでは司会者としても活躍した三宅さんだが、2011年から半年間、脊柱菅狭窄症で休養して以降、働き方を変えたという。

三宅裕司(以下、三宅)「昔のスケジュール表を見ると、これはちょっとひどかったなと。睡眠時間が少ないことがステータス、みたいな感覚で、スケジュールが埋まっていないと不安だった自分がいたんです。まだ大丈夫、まだ売れてる、と」

ーーその焦燥感はどこからきていたんでしょう。傍から見たら、十分すぎるほど売れっ子ですし。

三宅「昔、先輩から言われたんです。“三宅ちゃん、テレビっていうのはね、出つづけないとダメなんだよ。出なくなると過去の人になって、忘れられちゃうから。とにかく出続けるんだ”と。そう言われて、たしかにそうだなと思ったわけです。出つづけるためなら、自分がやりたかった、“演じる笑い”じゃないものをやり続けるんだ、と。でもそれは、本当に地に足のついたことをやっていたのか、ということですよね」

 三宅さんにとっての「地に足のついたこと」は、カメラの前で多くの芸能人を仕切ることではなかった。現在までで44年続く、主宰する劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」で喜劇を演じることだった。