父は村長。自身は衆議院議員という国政の舞台に上がり、16年には第二次安倍政権下で総務大臣政務官を務めた金子恵美さん。15年には同じく衆議院議員の宮崎謙介と結婚し、宮崎の育休宣言も話題になった。しかし、その後に、宮崎の「文春砲」でのスキャンダルが発覚。夫は議員辞職、本人は17年に落選と激動の日々。
 それでもその後はコメンテーターとして活動を続け、夫とテレビで共演する姿を目にすることも多い。“別れない”という決断にも、周囲からの批判があったという。
 そんな金子さんの「THE CHANGE」、重要な変化とはなんだったのか。それを経て彼女はどう変わったのかーー。

撮影/西 優紀美

 4年に1度行われる統一地方選挙。それは金子さんにとって幼少期から慣れ親しんだ光景でもあった。

「私が3歳のときから、父は新潟県にある月潟村の村長さん。県内で最も面積が小さい村でした。そんな村でしたが、父が図書館を建設し、周りに、保育園や小学校・中学校を移転・新設したことで激変。

 いわば、村全体で教育改革を行ったわけです。すると、周囲には新興住宅街ができあがり、ゼロ歳児が増加した。政治は暮らしに直結すると身を持って知るところとなりました」

 自身の暮らす村の風景すらも一変させた父の村興し政策。家族の一員としてそこに、たずさわっていた金子さんにとって、選挙に出馬するという選択はそれほど心理的なハードルが高いものではなかったという。

「政治を知るには社会を知る必要がある、という親のすすめもあって、新潟放送に就職しました。それから4年に一度の統一地方選に出馬する機会を待ちまして、28歳の時に父の引退を受けて市議選に立候補したんです」