赤井英和のキャリアは唯一無二だ。大阪でケンカに負けたことのなかった学生時代を経て、高校でボクシング部に入部。「蹴ったらあかん。どついたらええねん」の一言の指示だけでリングに上がって、いきなり優勝。その後、世界王者を狙うと広言し、大阪中から愛されるボクサーとなりながら、リング上で意識不明となる大事故で引退を余儀なくされた。
 引退から3年、足を踏み出したのは俳優という道。1989年公開のデビュー作にして主演作『どついたるねん』は絶大な評価を獲得し、以来、30年以上にわたって活躍を続けている。
 その活躍は、妻の佳子なしではありえなかった。結婚は1993年で、以来、長女・つかさ、長男・英五郎、次男・英佳の一女二男を育て、マネジャーとして日々の現場にも同行。さらに、佳子さんが赤井家の日常を投稿する「赤井の嫁」ツイッターアカウントは、2020年の開設以来、実に42万人ものフォロワーを獲得している。
 2人にとって「THE CHANGE」とはなんだったのか。あらためて、30年にわたっての半生を聞いた。【第1回/全10回】

撮影/三浦龍司

 自宅でのインタビュー取材、約束の午前11時の10分前に着くと、すでに赤井英和さんは自宅の門前で待っていてくれた。

「どうぞ」と招き入れてくれたのは、晴れた日には富士山が見えるという眺望バツグンのリビング。取材はここで受けることが多いという。家中の壁は3人の子どもが描いた絵、立体物、写真で埋め尽くされている。「今日はお世話になりますー」と、妻の佳子さんが現れ、ていねいにご挨拶をして赤井夫妻のインタビューが始まった。

 大阪出身の記者が、家族でいつも楽しく『ごきブラ』見てたんです、と伝えると、赤井さんは「そうですか」と笑顔を見せた。

『ごきブラ』とはトミーズ雅と赤井さんが司会を務めた大阪・朝日放送のバラエティ番組『ごきげんブランニュー』のこと。2001年から2016年まで放送された同番組は、赤井さんの天衣無縫さが絶大な支持を受け、多くの人に愛された。関西ではこの番組のおかげか、赤井さんはバラエティでのイメージが強い。『ごきブラ』もひとつのTHE CHANGEになっている。

 赤井さんはインタビューにあたって、大きな湯飲みを用意していた。中身が気になり尋ねると「水です」という。佳子さんが「1日にものすごく飲むんですよ。どのくらいだっけ?」と尋ねると、

赤井「6リットル」

 と、ものすごい答えが返ってきた。

佳子「健康法とか、そういう代謝のこととかじゃなくて、 ちょうどよくできないんですよ。だから、たくさん飲んでるつもりは自分でもなくて意識してない」

 という。再び赤井さんに聞くと、

赤井「アマで5年プロで5年ボクサーやってましたからね、ボクサーにとってコップ1杯飲むと、すごいごちそうなんですよ」 

 なるほど、とうなずきかけると、

佳子「これは後で考えた理由ですからね。そんな理由はないんですよ。なんで? なんでそんなに水飲むの?」

と、畳みかける。最終的な赤井さんの答えは、

赤井「ごちそうです。これで一杯飲んだら300グラムくらい増えますんで。それを絞っていかないといけないような生活をしてまして」

 と、そこで話は落ち着いた。