佳子「赤井は、もともとそうだったんですよ。ずっと変わらず」 

ーー現在は42万人が、毎日のようにご覧になってるわけです。赤井さんの姿を。

佳子「だから、自分の父親より知ってるわっていう。離れて暮らしてる父親より僕、赤井さんのこと知ってるわっていう方がいるくらい。

 赤井は、もともとそうだったんですよ。ずっと変わらず。だから、ツイッターで見せている姿のほうが面白いのにっていう。普段の、そのまんまのほうが面白いのにっていう感じ」

ーー始められる時からここまでフォローされると思われてましたか?

佳子「いやいやいや、いやいや。最初は全然です。投稿したのは、近所で鳴いてる鳥とか……どこ行くの?」

 赤井さんはなにかが気になったのか、インタビュー中に席を立った。佳子さんが、玄関のカギを締めに行ったのだ、と教えてくれた。

佳子「戸締りに厳しいんです。ものすごい厳しいんですよ。私が青森県の八戸っていう、カギもかけないようなところで育ったので、どうも防犯に対して気持ちがゼロで。でも、赤井は大阪で防犯意識が高い。私があんまりだって思ってるから、ちゃんとチェックしてるんです」

 戻ってきた赤井さんに尋ねてみた。

ーー佳子さんにちょっと防犯意識をもうちょっと持ってほしい、と思ったりしますか?

赤井「いや。もう僕がちゃんとやるから大丈夫です」

 そう頼もしいことを言って、赤井さんは笑顔になった。

■プロフィール
赤井英和(あかい・ひでかず)
1959年8月17日、大阪府大阪市西成区出身。浪速高校入学と同時に先輩に半ば強引にボクシング部に入部させられる。下働きの日々を経て、夏の国体予選にいきなり出場し、優勝。これを機に技術をつけたくて「朝は4時、5時から走って。高校の時がいちばん練習してた」という日々を送り、ボクシングの名門・近畿大学に進学。80年にプロ入りし、デビューから12戦連続といKOという偉業を達成。その攻めのスタイルから“浪速のロッキー”と呼ばれ、大阪中から絶大な人気を獲得。85年2月5日、大和田正春との試合で7ラウンドKO負け。急性硬膜下血腫、脳挫傷で意識不明の重体となり緊急手術。奇跡的に一命をとりとめるが、ボクシングからは引退。88年に半生を書いた『どついたるねん』を出版。89年、同書をもとにした阪本順治監督の映画『どつたるねん』に主演し、俳優としてデビュー。以降、映画、ドラマ、バラエティなどに出演多数。妻・佳子が運営するツイッターアカウント「赤井の嫁」は、絶大な人気を誇り、投稿の内容をまとめた『赤井図鑑』(扶桑社)が2021年に出版。