赤井「1日のうち22時間はすることないですからね。酒ばっかり飲んでました」

 自身ではどうしようもないCHANGEを迎えたとき、どうするのか。赤井さんはその姿を『AKAI』の中で見せている。

ーー赤井さんご自身もその時期は辛かったですか?

赤井「そうですね。2月5日の最後の試合で入院して緊急手術。3月14日に退院して、それからずっと週に3回か4回通院したということなんですけど、ずっと毎日練習したりとかジム行ったりとかしてたのがなくなったんで、何もすることがなくて。

 学生時代、プロになってからずっとお世話になった人たちに元気になりましたって、挨拶に忙しそうに動き回ってましたけど、どうしようもない時期でしたね。

 近畿大学のお世話になった先生が、ブラブラしてるなら、と嘱託職員という立場で学校に呼んでもらって毎日道場に行ってましたけども、学生と向き合って道場に居る2時間は充実してますけど、あと22時間はすることないですからね。酒ばっかり飲んでました」

ーーその期間が3年ですよね。

赤井「25から27、28くらい」

 映画『AKAI』では、現在の英五郎さんが赤井さんにインタビューをする。そこで、最後に英五郎さんが尋ねた一言に、赤井さんが答えて笑う。非常に印象的なシーンがある。

佳子「あそこは、映画を見ればわかる、っていうシーンなんですけど、いろいろ議論があったんです。でも、最後はあれで終わりたい、って決まってたみたい」

 父を撮る、という覚悟を持った英五郎さんの映画監督としての才は、明らかだと思われる。

■プロフィール
赤井英和(あかい・ひでかず)
1959年8月17日、大阪府大阪市西成区出身。浪速高校入学と同時に先輩に半ば強引にボクシング部に入部させられる。下働きの日々を経て、夏の国体予選にいきなり出場し、優勝。これを機に技術をつけたくて「朝は4時、5時から走って。高校の時がいちばん練習してた」という日々を送り、ボクシングの名門・近畿大学に進学。80年にプロ入りし、デビューから12戦連続といKOという偉業を達成。その攻めのスタイルから“浪速のロッキー”と呼ばれ、大阪中から絶大な人気を獲得。85年2月5日、大和田正春との試合で7ラウンドKO負け。急性硬膜下血腫、脳挫傷で意識不明の重体となり緊急手術。奇跡的に一命をとりとめるが、ボクシングからは引退。88年に半生を書いた『どついたるねん』を出版。89年、同書をもとにした阪本順治監督の映画『どつたるねん』に主演し、俳優としてデビュー。以降、映画、ドラマ、バラエティなどに出演多数。妻・佳子が運営するツイッターアカウント「赤井の嫁」は、絶大な人気を誇り、投稿の内容をまとめた『赤井図鑑』(扶桑社)が2021年に出版。