上品で柔和な微笑みが「やさしいお母さん」のイメージを後押しする、俳優の市毛良枝さん。一方で、キリマンジャロ登頂や南アルプス単独縦走を成し遂げるなど、本格的な登山愛好家としての顔も持つ。豊かな人生経験がにじみ出る市毛良枝さんの、THE CHANGEとは。【第5回/全5回】

市毛良枝 撮影/三浦龍司

 2004年に母が脳梗塞で倒れ、それから13年近く、100歳で看取るまで介護に尽力してきた俳優の市毛良枝さん。毎日のように母と接するなかで、気づいたことがあるという。

「たぶん人間って、お腹がいっぱいになるかならないか、ということよりも、感動がなくなったら生きていけない……そんな気がします。特に母はそうでした。

 私の母親は大正生まれで、“日本の母とは・妻とは”を体現しないと生きていけない時代の人で、“日本の母”風の顔をしていた時期もありましたが、あるときからころっと変わったんです。それで気づいたんです、母は、ずっと隠し続けていた気がするけど、感動がしたい人だったんだな、と」

ーーどんなときに気づいたんでしょうか。

「家族間って、普段はそんなにたくさんのことを聞いたりしゃべったりしないじゃないですか。“トイレ行く?”“ごはん食べる”程度で。そうすると“イエス”か“ノー”しか言わなくなって、だんだんそれすら言わなくなって、周りの人に“もうしゃべるのもイヤになっちゃったみたい”なんて話していました。が、98歳のとき行きたいと言うので、海外旅行に連れていったんです」

 車椅子で街を散歩すると、母の目の輝きに日常と歴然とした違いがあった。同行した友人も「毎日、顔が変わっていくね!」と驚いていたという。

「もう目がキラッキラしてね。極めつけは、それまでイエスかノーすら言わなかった人が、A4サイズ1ページくらいの分量をしゃべったんですよ!」