「ラジオみたいにやっていい」の救い

外山「テレビ番組のアシスタントを外れたときは、肩の荷がおりたというか、ホッとしましたよね。まわりにはこの子はダメだって思われたかもしれないけれど、それでもいいやって思いました。自分がこうしたのだから、もうしょうがないっていう」

 その後、外山さんはラジオを中心に活躍。『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』のアシスタントになり、独自の地位を確立していく。テレビのレギュラー出演は長らくなかったが、14年に稲垣吾郎さん(50)とのトーク番組『ゴロウ・デラックス』が始まった。

外山「スタッフが私のラジオ番組を聞いてくれていて、“テレビだと意識せずにラジオみたいにやっていいです”って、言ってくれたんです。だから、最初の収録のときに、本当にラジオみたいにやっていたら、私の後頭部しか映っていなくて。スタッフから“いくらなんでも意識しなさすぎです”って、言われちゃいました」

 テレビカメラを6秒以上見られないという外山さん。それも『ゴロウ・デラックス』で少し克服できたという。

外山「ニュースのときは平気なんですけどね。当時はテレビに出ていないということで、“なんのためにいるの?”みたいな空気もあったので。“ラジオだと思って”って、言ってくれたスタッフが本当にありがたかったと思います。吾郎さんもすごくいい方だったので、長く続いたんだと思います」

外山惠理 撮影/三浦龍司