SNSがきっかけでボーカルとして加入

 まさに運命的ともいえる、SNSを通した出会いで、浜崎さんはアーバンギャルドへの加入のきっかけをつかんだ。

浜崎「私はずっと釣竿を下げて待っていた。そうしたらまんまとアーバンギャルドの松永天馬から連絡が来たんですよ。私的には“この人、なかなか見る目があるな”って思いましたね」

松永・おおくぼけい(以下、おおくぼ)「ははは」

浜崎「“相手に会いに私が東京に行くのはおかしいだろう”って感じたんですよ。もしそれが単なる出会い系だったら怖いし、本気でメジャーデビューを目指しているなら、そちらから会いに来いって思った。それだけの情熱があるのだったら、会ってあげてもいいですけどっていう上から目線の返事をおくったら、すぐに“行きます”っていう返事が来た。ちょっと引きましたね(笑)」

――浜崎さんにとって、松永さんの初対面の印象はどうでしたか?

浜崎「当時の天馬はまだ23か24歳くらいだったと思うんですけれど、プロフィール画像を見て“嘘だろう”って思っていました。ほんとうはアラフォーくらいかなって想像していて、“もしも本当に気持ちが悪い変質者がやってきたらどうしよう”って思いながら、待ち合わせ場所に行きましたね。そうしたら実物の“松永天馬”がいたんですよ」

松永「今みたいに一張羅のスーツを着て行ったんです」

浜崎「肌が若くていきいきしていたので、プロフィールに偽りはないなって確信しました」

松永「話してみると、意気投合したんです。でも当時、浜崎さんは関西に住んでいたので、ライブの度に東京と行き来してレコーディングもしていた。最初のアルバム(※『少女は二度死ぬ』)が、ちょっと話題になり始めたんです」

 2008年4月に発売されたアルバム『少女は二度死ぬ』は、アーバンギャルドのライブ会場や通販のみの販売だったが、2000枚を完売させるほど好評だった。

浜崎「田舎者だったので、東京への憧れがありました。でも世間的にはぜんぜん売れていなかったので、アーバンギャルドに人生を懸けるべきなのかどうか迷っていました。

 しかも当時のメンバーって、全員東京出身で実家暮らし。“彼らはなにも捨てるものがないのに、私だけいろいろな覚悟が必要なのはずるい”って感じていました(笑)。そのうえ1週間の滞在でレコーディングとライブをやって、地元に戻ったらバイトというスケジュールで、すごくしんどかったんです」

浜崎容子 撮影/冨田望