アーバンギャルドは心の闇や古今東西のカルチャーのオマージュがちりばめられた歌詞、赤と白の水玉模様が多用される衣装など独特な世界観でリスナーを魅了している。ファンから熱烈な支持を集め、18年には10周年、23年には15周年記念公演を中野サンプラザにて開催し大成功を収めた。メンバーの脱退などを経験しながらも活動を続けてきたアーバンギャルドの転機ー「THE CHANGE」は、どのようなものだったのだろうか?【第3回/全5回】

アーバンギャルド・浜崎容子 撮影/冨田望

――みなさんは、どのような子どもでしたか?

松永天馬(以下、松永)「虚言癖があったんですよ。それは今もかな(笑)。子どものころ、空想の話と実際に起こったことをごちゃまぜにして喋っていたんです。

 4歳ごろだったか、“遠足で先生がみんなにアイスクリームをごちそうしてくれました”っていう空想を母に話したら、母が先生にお礼をしに行って“そういうことはしていないですよ”って言われた。親からすごく叱られて、“なかったことは言っちゃいけないんだ”って気づいたんですよね」

おおくぼけい(以下、おおくぼ)「僕は天馬君の壁新聞の話が好き」

松永「小学3年生のときに、毎週土曜日に壁新聞を作っていたんですよ。プリントして、全員に配って。誰からも“作ってほしい”と言われていなかったのに毎週出していた。自分で出すって決めたので、金曜日の深夜に徹夜をしながら書きました」

――小学生が深夜まで必死に壁新聞を書いていたんですか?

松永「はい。母親に“早く寝なさい”って言われているのに、“これは僕がやるべきことなんだ。僕のプライドなんだ”って言って泣きながら書いていた。深夜1時まで書いていたときには、母親からは“そんなプライドは犬に食われてしまいなさい”って叱られたんですよ(笑)」

 アーバンギャルドの世界観を作り出している松永さん。彼は兄や姉からの影響を受けているという。

松永「ちょうどバンドブームだったので、兄や姉からの文化的な影響ってすごく大きかった。兄の友達が持っていた面白いCDを、“これをお前らも聞いてみろ”と言って僕らに聞かせてくれた。それが筋肉少女帯の『高木ブー伝説』だったんですよね。