一方、ボーカルの浜崎容子さんは……

 松永さんとおおくぼさんが幼少期から自分の意志を発揮してさまざまな自己表現をしていたのとは対照的に、浜崎さんが人前に立つようになるまでは葛藤があった。

――浜崎さんは人前に立つのは好きでしたか?

浜崎「大っ嫌いです。でもオーラがあったみたいで、バレエの先生に腕をつかまれて“前に出なさい”って言われていた。バレエが上達するのも遅かったし、レッスンもつらかった。

 でも小学4年生くらいから、突然うまくなりだして。先生から“上手い子たちがいるクラスにいきなさい”って言われたんです。そこからもっと踊れるようになってバレエが楽しくなっていきました。ただほんとうにバレエの才能がある子は、もっとうまいんです。“私は上級クラスの中でいちばん下手だ”と思って生きてきました」

――バレエ教室の発表会に出ていましたか?

浜崎「宝塚歌劇団のOGの方が教えていた教室だったので、発表会の会場が宝塚大劇場だったんです。私の初ステージは宝塚でした。虚言じゃないです(笑)。子どものころって、人前に出るのが恥ずかしいか、やりたいかの二択かもしれないですね」

――浜崎さんはいつごろからバレエを習っていましたか。

浜崎「クラシックバレエをもうすぐ6歳になる頃から、14歳になるまで習っていました。バレエのことしか考えていなかったので、バラエティ番組も見たことがなかった。家の中でずっとNHKしか流れていない家庭で、民放ってCMが入るじゃないですか。小学5年生までCMのことを知らなかったんです。初めてCMを見た時に“これは何なんだろう? 短いテレビ番組なのかな”ってずっと勘違いしていたんです」

松永「世の理(ことわり)をわかっていなかったんだね」

浜崎「浮世離れした生活だったと思います。地元(※浜崎さんは兵庫県出身)の宝塚歌劇も大人になってから良さが分かったくらいで、まったく興味が無かったんです。ずっとバレエ漬けの生活でした。だから将来もバレエダンサーかバレエ教室の先生になるって思っていたので、周りからは浮いていました。

 小学5年生の時に、友達に“『Myojo 明星』(集英社)っていう芸能雑誌を買いたいけれど恥ずかしいから一緒に来て欲しい”って言われたんです。そこで初めて“みんなが言っているジャニーズって、外国人じゃないんだ”って知ったくらいなんですよ(笑)」