佐橋佳幸さんからベースをプレゼントされた

――それでベースを選んだんですか?

「いや、昔舞台でチューバを吹いたことがきっかけです(2014年、音楽劇『もっと泣いてよフラッパー』)。そのときの音楽監督が、松たか子さんの旦那さんでもある佐橋佳幸さんだったんですけど、そもそも佐橋さんに“僕のおじさん、ベーシストだったんです”と話をしたことで、“え!藤井さんってベーシストだし、チューバ吹きでもあったんだよ!”と、言われたんです。」

――それまでベースを全く演奏したことはなかったわけですよね。

「まったくなかったですよ。そこから“これはもう運命だから”と言われまして。次の日曜に佐橋さんのところに行ったら、フェンダー(※ギブソンと並ぶアメリカの楽器メーカー)の人が5人くらいおって、ベースが7本くらい並んでたんです。それで“触って、自分の手に合うネックを選んで”と言われて、“これです”と言ったら、“じゃあ、それ持って帰りなさい”と。そこからベースを触るようになったんです」

――なんとも贅沢なきっかけですね。ところで、ご自身を“表現者”だなと実感するときはありますか?

「楽しいことだけじゃなくて、悲しいことや辛いことがあっても、“これ、新しいストックができたな”と思うところはあります。何を考えていても」

――ある意味、表現することを“仕事”とは、もはや思っていないのでしょうか?

「生きてる理由みたいなものです。切り離せない。生きている限り表現する。それは俳優という形だけじゃないかもしれない。昔、森山未來くんと一緒に仕事をしたときに(2018年、再演舞台『プルートゥ PLUTO』)、“人間の快楽ってどこにあるのかな”という話をして、“自分の体内にあるものを発散する瞬間なのかな”と思ったんです。