多くの映像作品に出演し、時には監督も務める俳優・哀川翔。1984年、一世風靡セピアの一員としてレコードデビューし、その後、俳優として“一世風靡”するに至った彼にとっての「THE CHANGE」とはーー。【第1回/全2回】

哀川翔 撮影/貴田茂和

 俺、二十歳ぐらいのとき、ライターの仕事をしていたんですよ。

 出版社に出入りしていた知り合いのカメラマンから「雑誌社って面白いよ」って聞いて。編集とか原稿書きの仕事には興味はなかったけど、“雑誌の会社”そのものには興味があったんです。そんな感じで、そこにアルバイトとして潜り込んだんです。最初は、原宿や新宿にいる若者たちを撮ったスナップ写真にキャプションをつける仕事だったんですけど、そのうち、今度は原稿書いてみないかって言われたんです。

 それから、若者たちをいろいろ取材していったら、原宿でストリートパフォーマンスをやっている集団と知り合いになったんです。そうしたら、今度は彼らからお誘いを受けたんですよ。「一緒にやらない?」って。まあ、これも取材のうちだと思って、そっちの活動もするようになった……そんな経緯なんです。

 入ってから3年ぐらいたったある日、原宿で知り合ったプロデューサーから「レコード出さないか」って言われて。こりゃ、大ごとになったぞと、雑誌社の上司に相談したんです。そうしたら「原稿はいつでも書けるけど、レコードはなかなか出せないぜ」って返されまして。「よし、やろう!」と腹をくくったわけですが、正直、絶対売れないって思ってましたね(笑)。

 でも、どうせ出すならインパクトがあるのにしようって、頑張りましたよ。歌詞は自分たちで書いて、曲は当時とんがりまくっていた作曲家の後藤次利さんにお願いしようってことになったんです。でも、後藤さんとは面識もコネも何もなかったから、直接、みんなで家に押しかけてチャイムを何度も鳴らして(笑)。そのうち後藤さんも「もう鳴らすのは止めてくれ。そこまでだったら書くよ」って根負けして、『前略、道の上より』が生まれたんです。