渋谷のスクランブル交差点のように、人とすれ違う人生
この名前、覚えていますか(笑)? 福岡のホールのソデで、ひと言だけ言葉を交わした「新田さん」(第1回参照)に、53年のときを経て連絡をいただいたんです。
『幸福の黄色いハンカチ』、海援隊、福岡のホール、ピート・ハミル、新田さん……私の人生において重要なことが、こんなふうにつながるなんて、何がいったいどうなってるのかと、心の底から驚きましたね。
お目にかかったハミル氏の奥様は、非常にステキな女性でした。私が「あなたのご亭主の原作を、我々は必死になって日本映画にしました」とお伝えしたら、「ピートは、あなたが下痢をして、おなかを押さえて草むらに駆け込むシーンが大好きだったわ」と笑っていらっしゃいました。
こんなことがあると、改めて“良い人生を送ったな”と思いますね。
私は青春時代に音楽と巡り会い、俳優をやって、脚本を書いて、手に触れるものすべてを仕事にしてきました。
そこで「はて、オレの職業は何だろう?」と考えたとき、2つ思いついたんです。それは“シンガーソング・アクター・コメディアン”と、“ヒューマン・スクランブル・ウォーカー”です。前者は読んで字のごとくですが、後者は「まるで渋谷のスクランブル交差点のように、とにかく人とすれ違う人生だなぁ」という思いから。
振り返ってみて、これほど豊かに、昭和・平成・令和の人通りの中を歩けたなんて、“ヒューマン・スクランブル・ウォーカー”冥利に尽きますよ。
“シンガーソング・アクター・コメディアン”としては、年齢を重ねたからこそ歌える歌を作って、歌いたいですね。ルイ・アームストロングが、平凡な1日を、「What's a Wonderful World」とたたえたように、人の一生とは、平凡の貴重さに気づくこと。それを自分の歌にして残すことが、老いてからの課題だなと思っています。
武田鉄矢 たけだ・てつや
1949年4月11日生まれ。福岡市出身。1972年にバンド『海援隊』でデビュー。『母に捧げるバラード』『贈る言葉』など大ヒット曲を生み、『NHK紅白歌合戦』にも出場。1977年には映画『幸福の黄色いハンカチ』で俳優デビュー。以降、多くの映像作品に出演し、特に1979年に主演したテレビドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)は、2011年まで続く国民的な人気ドラマとなった。