お笑いコンビ・ナイツの鉄板ネタといったら”ヤホー漫才”であることには異存がないだろう。「ネットのヤホーで調べたんですけど……」と塙宣之さんがボケると、相方の土屋伸之さんが透かさずツッコミを入れるという、いわゆる”しゃべくり漫才”だ。2000年にコンビを結成してから早二十年が経ち、昨年6月には漫才協会会長に就任した塙さんの人生における”CHANGE”にまつわる出来事とは──?【第1回/全4回】 

塙宣之 撮影/冨田望

 

 ”Yahoo!”を”ヤホー”に。まぁ、そう読めないこともないが、そう読むことによって、話芸の世界に「ヤホー漫才」という新風をもたらせたナイツの二人。クリエーター……というとニュアンス的に違ってくるが、ネタ作成とボケ担当の塙さんは中学生時代にお笑いコンビ「ダウンタウン」の漫才を見て衝撃を受けたのがきっかけで芸人を志すようになった。  

 その後、高校生の時に”第2の博多華丸・大吉を作る”という名目で行われた吉本興業主宰の「激辛!?お笑いめんたい子」に出場し優勝を果たした。そして、福岡吉本からスカウトの声がかかった。

「それが高二の時だったんですね。僕にはひとつ上に尚輝という兄貴がいまして、ちょうど高三の夏で進路を決めるという時期だったんです。実は尚輝も芸人になりたいと言っていて、親からしたら尚輝からこの前、芸人になりたいって言われたのに、なんでお前までもがお笑いの大会に出て、しかも優勝しているんだってなっちゃったんですね」