代々伝わってきた「能面」を手に取ったのが転機

 そんな私が能楽師の道に進もうと自ら決意したのは、高校生のとき。この時期の男子は声も体も不安定な状態で、本当に稽古がつらく、ここで辞めてしまう人も少なくありません。

 そんな中、実家に代々伝わってきた能面を手に取ることがあったんですが、それが人生の最初の転機となりました。

 人間の一生よりもずっと長い時間を過ごしてきた能面を前に、文化の伝承について考えたんです。今日まで、多くの人の手を経て何百年と伝えられてきたこれらを、自分も伝えていかなければならない、と。

 それで、高校を卒業して、大阪の実家を出て東京芸術大学の邦楽科に入学するために上京しました。それと同時に、先々代の家元の内弟子になったんです。

 内弟子というのは、住み込みで修行しながら、師匠の身の回りのこともやるんです。タコ部屋みたいなところで兄弟子たちと寝起きして、炊事洗濯、電話番に運転手。最初はもちろん使いっ走りです。毎日のように家元に怒鳴られていました。そんな生活がだいたい7〜8年。

 伝統芸能の内弟子というと、最近ではあまりはやらないようですね。芸事と関係ない雑用に取られる時間が長いので、「こんなことして、ムダなのでは」って思うのも無理はありません。

 でも、実は役に立つんです。内弟子をやっていると、いろいろなピンチに見舞われることがありますが、そのときに機転を利かせて、どうやって解決するか。いざ舞台に立って、さまざまなトラブルが発生したとき、そのときの経験が後に生きました。

 ぼんやりと修行していても、それは身につきませんが、私の場合、だからこそ時間をいかに有効に使うかを意識しました。たとえ教わらずとも、家元や先輩たちを日々よく観察して「おい、お前やってみろ」と言われたときに、ソツなくこなせば周りからも一目置かれます。

 要は、いかに気が利くかということなんです。内弟子生活で培われた洞察力や判断力、瞬発力といったものは、後々、能楽師として大いに役立ちました。まさに「人間力」を磨く時間だったわけですよね(笑)。

辰巳満次郎(たつみ・まんじろう)
1959年兵庫県生まれ。父・辰巳孝、宝生流18世宗家・宝生英雄に師事し、1986年独立。古典の継承・普及活動に尽力する一方、他ジャンルとの融合を通じてさまざまな表現にも挑んでいる。重要無形文化財保持者。文化庁文化交流使。日本芸術文化戦略機構(JACSO)名誉理事長。共著に『能の本』(西日本出版社)などがある。

フォトグラファー 渡邉肇× 能楽師 辰巳満次郎
写真展「面と向かう」
ファッションを中心に活躍するフォトグラファー渡邉肇氏が、辰巳家に代々伝わる能面と、能装束を着用した満次郎氏の躍動感ある姿を撮り下ろし。高精細の大型出力や美麗な写真集、メイキング映像を交えて、幽玄なる能の世界を表現している。
4月12日(金)まで開催中
DNPプラザ B1F
東京都新宿区市谷田町1-14-1
時間:10:00-20:00(日曜休館)
入場料:無料