作品がヒットし次々と仕事が舞い込むように

 はっきりと”芽”を意識した出来事もあった。

「’12年に『母親ウエスタン』(光文社)という、母性を軸に転々と子どもを求める女性の話を書いたあと、北上次郎さんが読んでくださり、いろいろなメディアで評論を書いてくださったんです。それから、コンスタントに仕事がいただけるようになって。そのあと、’17年に『ランチ酒』(祥伝社)という小説を書いたんです。
 当時はまあまあ忙しくて“ごはんを食べて書けるような、ちょっと楽しくできる仕事があったらいいな”くらいの感覚で書き始めたら、それが結構話題になって『王様のブランチ』(TBS系)にも出してもらえて。agoeraさんの装画もすごく素晴らしくて、手に取っていただきやすかったんだと思います」

 それは、40代後半のこと。仕事は途切れ知らずでどんどん舞い込むようになり、50歳を迎えたときには「気が楽になった」という。仕事がなくなったとしても、「あと5年くらい書ければ、その後仕事がなくなってもいい」と思うようになった。

「そのときに数年先まで仕事をいただいていたので、それが書き終わるまでは一応小説家でいられるし、文庫化もあれば55歳くらいまでは小説家でいられるんだな、と思うと、もう考えるのは晩年のことだけかな、と思っていたんです」