眼光鋭い大きな目とダンディな渋い声、貫禄あふれる演技で、人々の心に多大なインパクトを残した中尾彬さん。映画『ゴジラ』シリーズや『極道の妻たち』、NHK大河ドラマ『秀吉』『龍馬伝』などへの出演で知られる名優が5月16日、81歳で亡くなった。 

中尾彬 撮影/弦巻勝

 バラエティ番組での辛口トークや、食事や芸術に対する深い造詣、そして奥様の池波志乃さんとのおしどり夫婦でも知られた同氏に、双葉社では80歳のときにインタビューを敢行。今回は追悼の意味を込めて、中尾さんの人生の転機と、その含蓄深い言葉の数々を、皆さんにお届けしたい。謹んでご冥福をお祈りいたします。

ねじねじのストールが山のように「ありました」

 私は千葉県木更津市の生まれで、絵ばっかり描いている少年だったんです。そこで、美大に入ってパリに留学したところ、「塩と砂糖を描き分けろ」という試験が出た。

 そんなの無理だよと思ったんだけど、ブラジルから来たヤツが描いたのを見ると、どっちがどっちか、ちゃんと分かるんだよね。

 ああ、こりゃ俺に絵描きは無理だなと思って、俳優の道に進んだわけだけど、役者になってみて分かったね。

 似せようとしたから、描けなかったんだ。「これはしょっぱい塩だ」「甘い砂糖だ」という気持ちで描けばよかったんだということが。

 絵と芝居は、よく似ていると思うんだ。私は芝居をやるとき、「この役はどんな色だろう?」と考えるし、風景画を描いているときは、「あの窓からはニンニクを炒める匂いが漂ってきている」と想像する。そうすることで、役のたたずまいが立ちのぼってくるし、絵にはドラマ性が生まれる。

 映画もそう。いい映画っていうのは、時代の色合いや匂いが映っている映画だと思っているんですね。

 私は台本をもらったら、この男は何を着て、どんな眼鏡をかけ、どんなカバンを持つだろうと、細部にわたって監督と話し合います。だから、家には眼鏡やら時計やら、もちろん“ねじねじ”のストールが山のようにありました。

 そう。「ありました」と過去形。2017年に病気をしたのを一つのきっかけに、ありとあらゆるものを処分したんです。いわゆる、終活ですね。だって、私と(奥さんの池波)志乃には子どももいないし、残しておいたって邪魔なだけだからね。