コロナ禍、上の世代にも下の世代にもかみついたニューヨークは、気がつけば「テレビの登場人物」としてサバイブしていた。劇場、テレビ、YouTubeを三角跳びし続けるニューヨークの生きざまを聞いた。【第2回/全2回】

ニューヨーク 撮影/武田敏将

 

――単独ライブや劇場で漫才もコントもやって、テレビに出て、YouTubeもやって……。全部やろうと決めているんでしょうか。

屋敷「そうですね。以前、岡本(昭彦)社長と飯を食いに行ったとき、“劇場とテレビとYouTubeの三角形をバランスよくやっていったらええんちゃう?”とサラッと言われたことをなんとなく覚えていて。何かひとつが突出するより、バランスよくやるのがいいと思ってます」

嶋佐「ひとつにこだわっても危機感から焦るだけで、いいことはないと思うんです。それに、複数あったほうが飽きませんから」

――バラエティ番組でニューヨークのおふたりを観ていると、常に肩の力が抜けていて、本当のことを言ってる印象を受けます。

嶋佐「これは絶妙な話で、“ここで逆張りしよう”とか“これを言ったらこうなるだろうな”とか狙うことはないというか」

屋敷「テレビに出始めの頃、周りがすごい方たちばかりで“この人たちに負けないように頑張っても無駄だな”と、いい意味で諦めがついて。どこかのタイミングで“普通の人でいよう”と決めたんです。いま思うと劇場でもそうでした。鬼越トマホークデニスマテンロウおかずクラブが同期だったので、俺らは“普通”でいくしかないと思っていたんです」

――4月の『さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ系)で、令和ロマンが“劇場でビジュアルから面白い芸人ばかりのなかで、普通のニューヨークさんがウケていてニューヨークに憧れを抱いた”という話をしていました。

屋敷「言うてましたね。当時は、テレビで売れる若手もハゲかデブか裸しかいなかったんです。三四郎の小宮さんも骨が折れているときに売れましたから(笑)。“普通の見た目だと埋もれてしまう”と個性がないことに悩んでいた時期もあるけど、こうやってテレビに出られるようになって、いまは無理してキャラをつけようとは思わないですね」

――テレビに新しい芸人がどんどん出てくるじゃないですか。そのぶん、消えていく芸人もいるはずなのに、最近はわかりやすい一発屋もいないので、誰がいなくなったのかわからないと思うんです。

屋敷「確かに。ただ、テレビ以外の場所が増えたので、昔に比べたら平和な時代になっていると思います。以前は数少ない椅子を取り合っていたわけで、だいぶギスギスしていたはずですよ」

――ニューヨークとしては、テレビの世界で生き残りたい気持ちはあるんですか?

嶋佐「ありますよ。やっぱりテレビの世界は華やかだし、収録は楽しいですから」

屋敷「ただ、呼ばれ続けるために何をしたらいいのか、というのはまだわかってないんです」