マイナスがプラスに変わった瞬間
当時は、僕がリングに上がるとブーイングが巻き起こりました。格好のやられ役です。さいたまスーパーアリーナではいきなり「帰れ!」コールが起きました。そこで僕は、その「帰れ!」コールに合わせて踊ったんです。このときが芸人人生の転機でした。ウケにウケたんです。
見に来てくれた三又又三さんにも、「今日のMVPはお前だ」と言っていただけて。マイナスがプラスに変わった瞬間でした。
他にも仕事面で変化が起こり始めました。僕の“あるあるネタ”のラストの「〜しがち」という決まり文句について、歌人の俵万智さんが、“言葉の使い方が素晴らしいアーティスト”として桑田佳祐さんらを抑えて僕を1位に選んでくれたのです。
ものまねに関しても、バンドの『バービーボーイズ』さんの真似をしたのが、ウケたり。「そのものまねやる!?」といった反響をいただけたのも、学生時代から続くサブカル・アングラ気質が影響しているかもしれません。あくまでもベタはやらない。
これまで多くのニッチなものまねをやらせていただきましたが、取り上げた人のファンの方から「似ていない!」「やめろ!」とお𠮟りをいただくこともありました。それに関して、ある面白い変化があって。クイズプレイヤーの伊沢拓司さんのモノマネをしたら、叩かれるどころか、Z世代のファンから「もっとこうしたほうが似ますよ」とアドバイスが届いたんです。
コロナ禍以降でエンタメのトレンドがSNSへと移り、これまでの昭和・平成世代から、令和のZ世代が手綱を握るようになっています。
手厳しい昭和・平成世代に比べ、Z世代は非常に優しく、しかも導いてくれるのです。
おかげで伊沢さんのものまねもどんどん仕上がりました。これからはZ世代にも笑ってもらえるよう、舵を切らなければいけない。そんな意味では今、僕は明確な転換期にいます。ただ、小学生の頃からの“誰かを喜ばせたい”というマインドだけは、いつまでも変えずに頑張っていきたいですね。
レイザーラモンRG
立命館大学在学時代にプロレス同好会(RWF)に所属。住谷正樹(のちのレイザーラモンHG)と出会い、在学中の1997年にお笑いコンビ「レイザーラモン」を結成。吉本興業に所属し、2000年には、「ABCお笑い新人グランプリ」で審査員特別賞を受賞し、コンビで東京進出を果たす。『R-1ぐらんぷり』では、11年、12年で準決勝に進出し、14年には初の決勝進出を果たして準優勝。17年にも決勝に進出するなど精力的に活動し、近年ではものまねのレパートリーを広げている。