転機となった宮本亜門さん演出のミュージカル
1976年12月にアイドル歌手としてデビュー。その後、テレビ番組の司会やドラマ出演、レポーターなど幅広く活動してきたが、太川さんにとって舞台は不可欠なフィールドとなっているという。
「デビューしてすぐ『がんばれ元気』という主演舞台をやってるんです。まだ18歳の頃。ただ、当時は役者という自覚も何もないし、正直、そこまで舞台への思いというのはなかったんです。その後、29歳の時に、劇団NLTの『夢見る乙女』という作品に客演で呼ばれて、それが役者として初めてといっていい舞台でした。その後に決まったのが東宝の『エニシング・ゴーズ』というミュージカル作品。この舞台に出会ったのが僕にとって大きかったです」
宮本亜門さん演出のミュージカル『エニシング・ゴーズ』。太川さんにとって大きな「CHANGE」の作品になったという。
「30歳になった頃ですね。とにかくその頃仕事がなくて。1か月のスケジュールが真っ白っていうのはしょっちゅうで、どうしていいのかわからない、不安ばかりでどこを目指していいのかもわからなくなっている時期でした。これからこうしたい、こうなりたい、というのがあれば、そこに向かって努力するんですけど、それすらもわからない状況。ただ悶々としてましたね。そのときに『エニシング・ゴーズ』で大地真央さん演じるリノと最後結ばれるオークリー卿という役をもらって、これは必死に食らいつくしかないと思ってました」
ミュージカル『エニシング・ゴーズ』のプロデュースは東宝の酒井喜一郎氏。数々の舞台を製作した名プロデューサーだ。
「イギリスの貴族の役なので、髪型としてはオールバックのような感じなんですけど、その当時、僕、おでこが広いから前髪出すのが嫌だなと、稽古の段階では髪をちょっと垂らしてたんです。そしたら、酒井プロデューサーから“その前髪あげなさい!”。“そこにまだ太川陽介が残ってる!”と言われて。そうそうたる俳優さんがいる中でそれを指摘されて、慌ててすぐに髪の毛上げておでこを出しました。そうしたら不思議なもので気持ちが変わったんですよね。もう太川陽介ではなく、オークリー卿になれたんです。ハッキリ言って、僕の中でまだアイドルが抜けてなかったんだと思います。そしてそれを見抜かれてた。自分がまだどこかに持ってる“僕はアイドルだ”という気持ちをその一言で全部吹き飛ばしてくれた。まさに僕を変えた一言でした」