がんで闘病していることを公表していた経済アナリストの森永卓郎さんが、原発不明がんのため1月28日に67歳で亡くなった。テレビの情報番組のコメンテーターとしてもおなじみの森永さんが主治医から、ステージ4のすい臓がんであると告知されたのは、2023年12月。翌年の4月にラジオの生放送終了後に行なわれた「THE CHANGE」のインタビューで、当時の闘病生活について詳細に語っていただいた。取材からまだ1年も経過していない突然の訃報に心が痛む。この時、森永さんがどのようにして病と向き合ったのか? 当時の記事を再掲し、皆さんにお届けしたい。謹んでご冥福をお祈りいたします。

森永卓郎さん 撮影/小島愛子(2024年3月撮影)

 

「たぶん、来年の桜は見られない」そう医者から告げられたら、あなたなら、どうしますか。2023年12月、主治医から、ステージ4のすい臓がんであると告知されたのは、テレビの情報番組のコメンテーターとしてもおなじみの森永卓郎氏。現在、書籍『書いてはいけない』(三五館シンシャ)が14万部超えのベストセラーとなっている経済アナリストだ。
 柔和な笑顔を浮かべながら政権の暗部に鋭いメスを入れる一方で、著書『年収300万円時代を生き抜く経済学』(光文社)では、経済格差に苦しむ我ら庶民に対して、どう生きるべきかを懇切丁寧にアドバイスする。
 そんな66歳の硬骨漢は、どのようにして病と向き合ったのか? 2023年末からの突然の闘病生活について、ラジオの生放送終了後の同氏に聞いた。【第1回/全5回】

 免疫の量が健康な人の「5分の1」ぐらいに

――お写真では、かなり痩せてしまった感じでしたが、お元気そうで安心しました。先日のスポーツ紙で、「私の場合は、オプジーボ(がん治療薬)が効いているのではないか」とラジオ番組の中でコメントされたと報じられていました。

「効いているかどうかはわかんないんですけど、去年の12月29日は、本当に三途の川が見えた状態だったんですね。抗がん剤が合わなくて生死の境をさまよったんですけど、その後、気付け薬みたいのを飲んで、最悪の状況を脱して、年明けに2週間、東京の病院に入院したんですよ。
 それは、治療のために入院したんじゃなくて、体がボロボロになっていたので、その治療に耐えられる体力、気力に戻すための入院だったんですね。
 年末は、免疫の量が健康な人の5分の1ぐらいにまで下がってしまって、本当に危なかった。その状態でコロナとかにかかったら、一発アウトになる。だから、隔離してもらって点滴を打って、ちょっとでも熱が出たら抗生物質を打って、という繰り返しでした。ず~っと点滴で縛られているっていうか、スパゲッティ状態(点滴に両腕をつながれた状況を、腕を前に突き出して実演する森永氏)」

――本当に危険な状況は脱して、よかったです。

「もともとは、すい臓がんのステージ4っていう診断だったんですけれど、血液パネル検査(血液中に流れるがんのDNAを用いてする検査)っていうのをやったら、95%の確率ですい臓がんじゃないっていうのがわかったんですよ。で、原発不明がんっていう新しい病名になった。がん細胞がどこにあるかわかんないけど、転移はしているので、体のどっかに本体はあるんだろうけど、それがどこにあるのか、何の種類のがんなのかっていうのは、まったくわからない。極めてレアケースのがんなんです」