身近にある“死”に触れたからこそ感じる「今日あることを当たり前と思っちゃいけない」

──“死”を? 意識的にですか?

「そうです。沖縄はヒヌカンという火の神様を台所にまつる家が多いのですが、僕は東京の家にもまつっていて、毎日線香をつけて手を合わせています。そして亡くなった親戚や同級生、知人の名前を読み上げています。“誰々と誰々に、よろしくお伝えください”と、毎日お願いしているんです」

──毎日、神様に。

「そうです。毎朝一日も欠かさず。その中には、自分と同じ年齢の同級生もいます。“今度一緒にこういう仕事をしたいね”なんて言って、最近まで一緒に飲んでいたのに、その翌週の朝に亡くなっていたと聞いたこともあります。その同級生や、ほかの方たちも、自分にも明日があると思っていた。でも、理由はいろいろあるけど、人はみな亡くなっていく。その人たちのことを思うと、今日あることを当たり前と思っちゃいけないなと思います」

──そうですね。

「いつも手を合わせながら、“よし、今日もスタートするけど、絶対に無駄にしないぞ!”と思うと、その日が愛おしくなります。だからその日にやることは、毎日決めています。健康のためにストレッチして、マラソンするとか。脚本は必ず毎日2ページは書くとか。必ずやるべきことを何かして、一歩でも前に進むと決めています」

──すごいです。常に先の目標を置くようにしているのですか?

「先というか、人生でやるべきことをいつも携帯にメモしています。それをひとつひとつ消していく。死は必ず訪れますから、“今”できることを考えています」