1955年、高校3年生でデビューして以来『へび少女』『まことちゃん』『漂流教室』など、数々の名作を残してきた楳図かずおさん。95年発表の『14歳』以来、長く休筆していたが、22年に開催された『楳図かずお大美術展』で、『わたしは真悟』の続編となる『ZOKU-SHINGO』を発表し、大きな反響を呼んだ。実に68年に及ぶ楳図さんの作家人生、その間にはどんな「CHANGE」があったのだろうか。【第2回/全5回】

楳図かずお 撮影/冨田望

 小学5年生のとき、衝撃を受けた手塚治虫さんをシャットアウトし、自分の漫画を模索していた青年時代の楳図かずおさん。たどりついたのは、それまで誰も手掛けていなかったホラー漫画だった。

「やっぱりストーリーは、みんなの気が引けてインパクトのあるものがいいと考えたら、それは怖い話だって気がついたんです。これはじょじょに気がついていったものですね。ただ、なにが怖いのかって聞かれたら、具体的に説明することは難しくて。

 やっぱり自分が怖い体験をしていないと、漫画に描くことはできないんです。自分はそういう体験をしていなかったから、なかなか怖い話が思いつかなかった。

 そんなときに思い出したのが、4、5歳の頃に父が寝る前に布団で話してくれた蛇女の伝説なんです。なんで寝る前にそんな話を? って、今では思いますけど。怖いってあれだなって思って、怖い話が描けるようになったんです」

 楳図さんが描いたホラー漫画の代表作に『へび少女』があり、ほかにもヘビが登場する作品は多いが、そのルーツは父親の寝物語だったのだ。そこまで強いインパクトを与えた父親の話。怖くて眠れなくなってしまいそうだが……。

「全然、そうはならなかったですね。面白いなと思って、何度も聞かせてって、ねだっていました。怖いけど、面白いなって感じていたんですね。面白いっていうのは、やっぱり引き込まれてしまう魅力があるからだと思うんですよ。怖いけど、気になって無視できない。そういう部分がないと、読む人の気持ちをつかむことはできないんでしょうね」

 ようやくたどりついたホラー漫画というオリジナルなスタイル。しかし、それが評価されるのは、まだ先のことだった。