「恋愛もご法度」制約があった少女マンガ時代
「高校生の頃、集英社の『少女ブック』という雑誌に『泣き笑いやんちゃ物語』という作品を送ったらなんの返事もないのに、いきなり掲載することが決まったんですよ。
それで次に描いたのが『母よぶこえ』というバレエ漫画なんですが、その初回にホラーっぽいシーンを入れてみたんです。主人公が寝てる間に卑弥呼の亡霊みたいなのが出てきて、バレエシューズを置いていくという。ただ、編集長にこういうのは出さないでくださいって、注意されちゃいましたね。
当時の雑誌は、女の子の出ている漫画に男の子は出しちゃいけないという決まりがあったんです。恋愛もご法度。かわいらしい女の子が生き別れた母親を慕って苦労して再会する、というのが求められていたんですよ」
しかし、楳図さんはあきらめない。ロマンスな『母よぶこえ』の連載を続けながら、付録漫画で怖い話を描き続けていた。そして1961年、ホラーの『口が耳までさける時』とラブコメディの『ロマンスの薬あげます!』、正反対の2作が同時にヒットすることになる。
「恐怖と笑えるもの、こことここだって、確信したタイミングでしたね。ただ、そこで立ちはだかったのが、手塚治虫なんですよ。やっぱり絵が手塚風のかわいらしいものじゃないと、編集部が受け入れてくれなかったんですね。
僕はスーパーリアリズムを目指していたんですけど、かわいらしいまつ毛3本の絵じゃないといけなくて、めちゃめちゃ苦労しました。リアリズムに耐えられる“かわいらしい”はなんだろうって、工夫して、追求したんです」
ここまで来ても、まだ楳図さんの前に立ちはだかる手塚さん。その苦労は代表作の『へび少女』や『ねこ目の少女』などの、かわいいけれど、ただかわいいだけではない魅力を持つ主人公に結実していった。