“家にママは2人いらない”と怒られました(笑)

 一緒に子育てに参加してくれるご主人に対して、奥様も喜んでくれたのでは?と聞くと、苦笑しながら首を横に振り、こんなエピソードを話してくれた。

「実は10年くらい前に“家にママは2人いらない”とすっげえ怒られました(笑)。子育て参加の絶頂期だったんです。女房を助けたいがために、洗濯だ、送り迎えだ、おしめ交換だ、と全部やっていました。“そこまでやらなくて良い”と怒られたのが子供も3人生まれた頃、つまり10年はやってたんです。もっと早く言ってよ……と思いました(笑)」

 実際に子育てに参加した経験や“実験”が仕事に生きてきたことはあるのだろうか。

「自分の給料も時間も、全部子供のために使うようになって、育児する環境の課題点をまとめていたんです。例えば遊園地に行っても、“授乳する場所がない”、“ベビーカーの上がれる場所がない”というのを見つけると、いつか絶対どこかで言おうと思って1年半ほどデータにとって蓄積していた。女房には“男の人がそんなこと言う場はないでしょ”と鼻で笑われてたけど、子供が2歳くらいの時かな、『すくすく子育て』(NHK Eテレ)から今まで貯めていたことを発信してほしいとオファーが来たんです。それで発信を続けていたら、“子育て”にまつわるお仕事がどんどん増えていきました」

 プライベートの子育てを通して知見を広めていた照英さんだが、仕事を介しても、新たな発見はあったという。

「自分の番組の中でも、子供の病気や心理、保護団体の話まで各方面の専門家たちから詳しい話を聞きました。知らないことばかりで本当に面白くて、自分でも掘り下げていったらあっという間に5年が経っていたんですよね」

 俳優業の第一線から退いてまで全力を注いだ “子育て”は天職だったのかもしれない。

「もともとスポーツをやって自分を発散する人間だったので、一つの作品に向き合って役を演じ切るのはプレッシャーがすごかったんです。それが子育てを通して自分を出すことで発散にもなっています。とはいえ、“涙もろくて”“情熱家”というキャラクターとして皆様に育て上げていただいたのだから、『照英』として期待を裏切らぬようプロとして努力し続けていきたいとは考えています」

 “熱い漢”はどこまでもプロフェッショナルを貫く。講演や番組司会の経験も持つ照英さんだが、「子育てに正解はない」と言われるように、自身の子育てに関しては後悔の連続だったという。

(つづく)

照英(しょうえい)
1974年埼玉県出身。元陸上競技・やり投の選手で、1996年の全日本学生選手権とひろしま国体のやり投で準優勝の経歴を持つ。自己ベストは73m90。大学卒業後、恵まれた体躯を生かしモデルとして活動。1997年に単身で渡米をするなどの経験を活かし、念願であったジョルジオ・アルマーニのコレクション出演を果たす。1998年、「スーパー戦隊シリーズ」『星獣戦隊ギンガマン』のゴウキ / ギンガブルー役で俳優デビュー。2002年から2007年まで、『水戸黄門』に風の鬼若役で出演。その後は俳優・タレント活動だけでなく、司会・デザイナーなど活動の場を広げている。2005年に結婚。2007年に第1子(長男)、2010年に第2子(長女)、2016年に第3子(次女)が誕生。令和2年9月、第40回全日本マスターズ陸上競技選手権大会の槍投げ(M45クラス)に出場し、クラス優勝した。