1990年にテレビアニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマ『おどるポンポコリン』で日本中を大人から子供まで巻き込み、その後はガールズユニット『Mi-Ke』のリードボーカル、そして現在に至るまで第一線で活躍を続けているミュージシャン・宇徳敬子さん。最近でテレビのバラエティ番組でも個性的過ぎる足跡を残しトレンド入りという偉業(快挙?)を成し遂げ、活動の場を広げている。そんな宇徳さんにとってのCHANGEとは?【第2回/全4回】

「3、4歳ぐらい時かな。“歌手になりたい”というビジョンが、自分の中でひとつの夢としてあったんですけど、ちょっと恥ずかしくて人前では言えませんでした。母の話によると、テレビを観て美空ひばりさんの歌をよく歌っていたそうです。でも、私が育ったのは鹿児島の出水市という熊本との県境にある本当にのどかで芸能界とはほど遠い所だったんです。だから、歌手になりたいなんて親に言ったら“大丈夫、頭?”って言われるんじゃないかと思って、子供の頃は口に出すことはなかったです(笑)」
短大時代に原宿でスカウトされ、所属事務所の合宿で音楽の才能を見出された宇徳さん。B.B.クィーンズのメンバーとしてデビューし、Mi-Keとしても活躍、ソロデビューを果たし、現在もアーティスト活動を続けているが、そのルーツは子どもの頃に新聞で見たピアノの広告だった。「これをやりたい!」と言って音楽を習い始めたが、それはピアノではなかった。
「最初はオルガンでした。習い始めたのは幼稚園に入ってからなんですが、その前からやりたいとは言っていたらしいです。でも、幼児の頃はまだ指が発達していないので無理だと言われたみたいで。でも両親は私が自主的に言い出したことだから、それを止めてはいけない、と音楽教室を探してくれたんです。私が通っていた幼稚園で毎週土曜日にオルガン教室があることを知って、そこに通うようになりました」