ANAの広告オーディションで最終選考に

 それがきっかけで、芸能人としてのキャリアをスタートさせることになった。

「不思議な出会いというか、歌手になって歌いたいと思っていたんですけど、こういうことがないと自分からオーディション受けてとかはやっぱり出来なかったと思うんです。事務所に入った後も歌を歌いたいと言えなかったですし」

 こうして所属したのは多くの人気モデルや芸能人が所属する大手芸能プロダクション・スターダストプロモーションだった。歌手志望ではあったが、当時の宇徳さんに選択肢は2つしかなかったという。

「当時はモデルか芸能(俳優・タレント)かの二択だったんです。芸能だと、演技など出来ないかもしれないと思い、モデルの仕事はオーディションで受からないと仕事が決まらないと聞き、それで消去法的にモデルの方を選択しました。歌手を目指して我が道を行くには芸能はちょっと怖いというか苦手だなって思ったんですね。正直、モデルもやっていけるか自信は無かったですが。でも、スターダストにはすごく清潔感があってピュアな感じのモデルさんがいっぱいいるよと言われて、広告のモデルのオーディションを受けるようになりました」

 夏休みだったこともあり、まずは写真選考やオーディションを受けてから帰るよう勧められ、スカウトされてすぐに様々なオーディションも受ける。その中には全日空や三井銀行(現三井住友銀行)など大企業も含まれていた。そして帰郷する直前に全日空の最終選考に残ったという報せを受ける。

「全日空なので、チケットを取っていただいて……。それで実家に帰ると、母は“えッ何、どういうこと? ”とただもう驚くばかり、父ももちろん驚いていましたが、 反対はせずに“ずっとやっていくとは限らないし”、“今しか出来ないことだから”と送り出してくれました。オーディションに受からなければ帰ってくるだろう……ぐらいの気持ちだったんじゃないでしょうか。
 私は幼稚園教諭の資格を取っていたので、親は幼稚園か教育委員会の仕事に就くだろうと思っていたんだと思います。父は公務員でしたので“職場で会えると良いね”なんて話をしていましたし、母は家で幼児教育ができるといいんじゃないかという感じでした。家にはピアノもあって、私も家でピアノを教えたりとか、そんな夢を語ってしまっていて。そんなふうに親孝行出来るかなと思っていたのに、芸能界に進むってことになったので、両親は只々ビックリするだけでした」