正直すぎるコメンテーター、ファッションアイコン、ポケットビスケッツのボーカル、そして母親。多彩な魅力を持つ千秋さんだが、アーティスト「chiaki」名義でも活動し「歌」への思いは芸能界のスタートから一貫していたという。「歌手になる」という夢を叶えた千秋さんのTHE CHANGEとはーー。

千秋 撮影/松野葉子

 1996年、当時の『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ系)の勢いは凄まじかった。同番組は日本テレビがフジテレビから視聴率三冠王を奪還した一因ともなった番組で、高視聴率を連発する日テレイチの人気番組だった。

 番組の人気に火をつけたのは、ウッチャンナンチャンの内村光良キャイ~ンウド鈴木、そして千秋さんの3人からなるポケビことポケットビスケッツだった。

 セカンドシングル『YELLOW YELLOW HAPPY』がミリオンセラーを記録すると、翌年にはウッチャンナンチャンの南原清隆、キャイ~ンの天野ひろゆき、そしてビビアン・スーのブラックビスケッツが誕生し、ことあるごとに勝負企画を放送、高視聴率に拍車をかけた。

 そんななか、千秋さんはいつもむき出しの本気を見せていた。

「やっと歌手になれて、しかもミリオンセラーにもなって、“これでようやく歌手人生が歩めるんだ”と思ったら、毎回課題を出されて“これをクリアしないとポケビ解散”って言われるんです。

 “なんで、せっかく掴んだ夢をみんなで邪魔するんだ!”と思って、いつも本気で怒って泣いてたし、大人全員、私に意地悪していると思ってた」

 利き酒対決、利き寿司対決、楽曲発売をかけた白馬村から御殿場CDプレス工場までのガソリンすごろく対決など、あの手この手で挑まれる勝負に、千秋さんは全力で臨み、一喜一憂した。

ーー対決のなかで、一番高い壁を覚えていますか?

「ナンチャンに“1週間後に綱渡り対決だ”って言われて。綱を渡りきらないとポケビが消滅する、というんです。“綱渡りなんかできないもん”って大泣きした」