HYが長く愛される秘策とは

「売れる曲にする」ために、オトナの手が入ったことで、いろいろな気づきをもらった反面、自分たちのちゃんぷるーな感性が必要以上に削られてしまうのではないかと危機感を覚えたのかもしれない。だから、彼らは居心地の良い場所から、あえて飛び出す必要があったのだ。

新里さん「いろいろと29歳で考えたから、アルバムも『ROUTE29』というタイトルにしました。そのころからバンドの空気も、実際にやることも変わっていきましたね。例えば、ライブにお笑い要素を入れたのもそのころから。HYのスタートはめちゃめちゃロックで、そこは軸として変わらないんですが、メンバーだけでいるときは、結構お笑い要素なんかも交えながらスタジオで練習していたんですよ」

新里さん「ライブを続けていくなかで、“かっこいいだけでは、より多くの人の心に入っていけないかもしれない”と、感じるようになっていたんです。だったら、練習のときにやってるようなお笑いの要素を入れたりすることで、少し心をほぐしたりできるんじゃないかなと。誰にでも優しく、間口広く僕らの音楽を届けるため、エンタテインメント性を取り入れるというのはバンドにとって大きな転機“THE CHANGE”でしたね」

仲宗根さん「男性陣4人(当時)は“ロックバンドはカッコよくあるべし”みたいな気持ちが強かったし、Dragon Ashさんたちにあこがれてバンドを始めたところがありましたから、自分たちの楽しい一面を人前で出したくなかったんでしょうね。けど、私はみんなの面白いところがめちゃくちゃ好きだし、自分たちらしさを出しながら演奏でギャップを出した方が、逆にかっこいいんじゃないかと思ったんです」