すぐスランプに「モデルとしての人気も下がってきて、仕事がなくなっていったんです」

 とはいえ、モデル時代にはまだ俳優業への興味は薄かった。それでも1987年に『はいからさんが通る』の伊集院少尉役で映画デビューすると、1990年代初頭には期待の若手俳優に。だが、スランプはすぐやってきた。

「役者としてのこだわりもないままやってきて、セリフを言うだけで精一杯でした。しかもモデルとしての人気も下がってきて、仕事がなくなっていったんです。そもそもモデルとしても『MEN'S NON-NO』と『non-no』(ともに集英社)しかほとんどやっていなかったから、まだ当時はプロとはとても言えない半端者でした。“何とかしなきゃいけない”と、武道をやったり、習い事をやってみて、自信をつけようとしていました」

阿部寛 撮影/有坂政晴 ヘアメイク/AZUMA スタイリスト/土屋詩童

 危機感を持った阿部がいちるの望みをかけたのが、1992年のドラマ『チロルの挽歌』(NHK)。「工事人A」という役だった。

「主演の高倉健さんとひと言だけセリフを交わす、名前もない役がありました。当時はそんなに仕事もないし、行ったことによって“何か自分は変わるんじゃないか”と、健さんに会うために“この役をやらせてください!”ってお願いしましたね。“こんな役でもいいんですか?”って言われても“いいんです!”と即答して。そのセリフひとつのために、北海道の現場に行きました」