頑張っても月に10万を稼ぐのが精いっぱい

丸山「ひとえに金がなかったからです(笑)。当時は頑張っても月に10万を稼ぐのが精いっぱいで、食べていくにはお金が足りなすぎたんです」

宮田「それは切実ですよね……」

丸山「だから、勉強していたことをモノにできなかったのに対しては、師匠からはすごい怒られたりはしましたよ。師匠っていうのは、大学の担当教授なんですけどね」

宮田「修士を出られてからも大学にはよく行かれてたんですか?」

丸山「しょっちゅう遊びに行って、みんなで飲んだりしてましたね。その時間と交流が、今の自分を形作ってくれたと思いますよ。特に僕は上京組だったので、親元から離れてバイトで食いつなぎながら師匠や研究室ともコミュニケーションが取れるという、この時の経験こそ自分が一人で生きていくための糧になったように感じています」

宮田「実際に大学での交流が、今の『國學院大學学術資料センター共同研究員』という肩書きに繋がっていますよね。でも、卒業後は具体的にどんなお仕事をされていたんですか?」

丸山「突然社会にポンと放り出されたはいいものの……という状況でしたから。僕の場合は、ライター活動より前にアンダーグラウンドな活動をしていました。といっても、飲み会だったり、新宿をウロウロしてみたり、歌舞伎町で怪しげなバイトしてみたり……という程度のものだったんですけど」

宮田「そこが裏社会ジャーナリストの入り口なんですね! そういう世界って、面白い人ともたくさん知り合えそうですね」

丸山「怪しいバイトをしたり飲み会を開催したりしてたのもあって、いろんな人とは出会えましたね。新宿で友達と飲んでるうちに、いつのまにか出版社の人がどんどん来るようになったんです。そこで僕が普段していることやアンダーグラウンドな交流関係について話していたら、雑誌の編集者に記事を書いてみたらって言われたんです。これがライターのきっかけ」

宮田「これも著書にありましたけど、ゴンザレスさんの文章って、教授たちからも“非常に難解”と言われていたんだとか」

丸山「そうそう、卒論かレポートくらいしか書いたことがなかったのもあって、ライターを始めた当初は文体がものすごく固かったんです」

宮田「ライターさんの書く文章って、さらに簡単な言い回しとかが必要になってくると思うんですが、その転換に苦労されたことはあったんですか?」

丸山「だから、それをいかに崩して、かつ要点を押さえた書き方にするか……という点は留意するように努めましましたね。でもわりと早い段階で慣れることができたんです。だからライターとして活動できたのかなと」