デビュー2年で事務所から独立、収入は減ったが…
太鼓を拾ったことがきっかけでパーカッションを担当するようになり、「イカ天」出演からメジャーデビューを果たした。プロのミュージシャンとして仕事をする前と今とで変わったもの、変わらないものについて聞いてみると、
「自発的には変えようとかはなかったです。それまで数十人のお客さんだったのがいきなり数千人になったりとか、そういうのは変わったかもしれないですが……。別にプロになってから、いきなりすげえ上手くなったわけじゃないんですが、アマチュア時代とはとにかく周りが変わりましたよね。
もちろん、そんなに周りが変われば、自然に意識も変わるところはあるとは思いますけどね。基本的にはほとんど変わってないですよ。デビューした時とやってることは同じなんです」
デビュー曲『さよなら人類』が大ヒットし、雑誌やCMでも大活躍。海外でのレコーディングも経験し、紅白歌合戦にも出場。本人曰く「特殊な2年間」を過ごした。
しかしその後、所属事務所から独立してセルフプロデュースで活動するようになり、メディアへの露出も減少していったという。当然、収入も減ったはずだが、そのあたりの変化はどうだったのだろうか。
「デビューの頃に比べて収入がバンと落ちたりしても、もう明日のご飯が食べられないってところまで落ち込んだことはないんです。たぶん、はたから見て、“収入が何十分の一になってるじゃん。それ危機だよ”って言われたら、“はあ”って感じだけど、自分として危機感は全く感じてないというか……。
高円寺時代はラーメンだけ食えてれば幸せって思っていましたし、『イカ天』に出る前に僕はもう結婚していたので、僕の収入が少なくなったら、売れてない頃と同じようにうちの妻が働くって感じで……。特に離婚の危機というのもなかったですし、基本的には、わりと平和にしてきた感じですね。
いろいろ細かいことはあったり、他の人だったら金銭的に危機だと感じるくらいに収入が減ったことはあったかもしれない。でも僕は、高円寺のアパート時代と変わらなくなったと思えばいいやと思っていました。もともとベーシックが貧乏性だし、インスタントラーメンも食えなくなるまで困窮したことはないんで、だったら別にいいやって、お金がなくても危機と思わないという感じですね」
2013年「たま」は解散し、それぞれの活動に。石川さんは現在、複数のバンドを掛け持ち、知久寿焼とともに「パスカルズ」にもパーカッションとして参加している。
■石川浩司(いしかわこうじ)
1984年に知久寿焼、柳原幼一郎と「たま」を結成。担当パーカッション。86年に滝本晃司が加わり4人体制となり、89年のイカ天出演を機に90年にメジャーデビュー。オリコン初登場1位、紅白歌合戦出場など、快進撃を遂げる。2003年の「たま」解散後も精力的に音楽活動を続け、2021年に還暦を迎えた。2023年3月、2004年にぴあから出版された『「たま」という船に乗っていた』の増補改訂版が双葉社から刊行。webアクションにて漫画『「たま」という船に乗っていた』(原作担当/漫画・原田高夕己)を連載中。