1981年に東海テレビ入社。アナウンサーを経てドキュメンタリーの制作に携わり、ディレクターやプロデューサーとしても多くの番組を手がけてきた阿武野勝彦。現在はフリーの映像作家として活動する彼のTHE CHANGEとはーー。【第1回/全2回】
もともとアナウンサーとして東海テレビに入社しました。そこからディレクターに転じてドキュメンタリーを作り、2010年からプロデューサーとして自社の番組を映画版で公開するようになったんです。
プロデューサーとディレクターの違いは、農業で例えるならディレクターは農民として耕す人。プロデューサーはそれを売って、お金にする仕事。だから、どんなにいいお米を作っても売る場所がなかったらダメだし、逆に売る気があっても米が悪ければ売れない。そういう関係ですね。
これまで東海テレビで15本のドキュメンタリーを劇場公開してきました。放送して終わりではなく、まさに“米屋”として新たな商売を始めたわけです。東海テレビはフジテレビの系列ですが、いい番組を作っても全国ネットで放送する仕組みがない。ずーっと“ローカル根性”を叩き込まれていたので、逆に、よりオールドメディアの映画にすれば作品を見る人に直接手渡せる、上映によって人と人との関係が切り結べるなと思いました。
劇場公開作1本目は、戸塚ヨットスクールを題材にした『平成ジレンマ』。会社にとって、前例がない取り組みだったので、収支が整わないものはダメという絵空事扱いでした。お金もなくて、テレビ放送版の時点で映画版も進めてしまって、予算は全部そっちから出す……という建付けで映画を作りました。
この作品は、戸塚ヨットスクールが題材で、体罰による死者まで出してしまった全国的な事件です。だから、その後の戸塚ヨットスクールを追う作品には意義があるし注目を集めるだろうと思いました。
しかし、実際に劇場にかけようとすると反応は冷たいものでした。よく“テレビ的”という言い方で批判されますが、映画人はテレビを一段下だと思っているので、なかなか劇場公開も難しい。あるとき、ふっと扉が開く瞬間があり、結果的には全国30館ほどで上映できました。