親父に殴られても映画を待ち望んだ少年時代。「観客であり続ける」ことの重要性

「観客であり続けること」も、俺が俳優としての自分を保つために、変えたくないことです。

 俺はもともと映画が大好きな観客なんです。子どもの頃、淀川長治さんが「来週はこういう作品をお送りします」と言うのを見ながら、親父に「来週まで生きよ」なんてうそぶいて殴られていたくらい(笑)。でも、その気持ちは半分本気でしたから。それくらい、映画を観られるのが待ち遠しかった。

 だから今でも、映画でも芝居でも何か観るときには、プロとして分析的な目を向けないようにしています。「あそこの演技がどう」とか、「技術的にどう」とか。そういう目では決して見ない。ただの客として、ワクワクしながら観ています。

 俺の場合、自分が出ている作品でさえ、完成したものを観るときには他人として観られるんですよ。純粋に客の立場で。

 その感覚がなくなったら、観客としての自分を失ったら、もっといいものを作りたいという気持ちにつながらなくなると思う。そのモチベーション自体がたぶんなくなると思います。だから「観客であり続けること」が、一番大事ですね。

 そして、俺は「100人より1000人、1000人より1万人」と、昔からずっと思ってきました。自主映画で始まったときからずっと。なるべく多くの人に伝えたい。

 俺のことを支持してくれている人だけじゃなくて、「あの俳優、ちょっと苦手かな」と思っている人にも、「ちょっと見てみようかな」と思っていただきたいと思っているんです。そこを目指すのは、エンターテインメントの仕事をやっている身として、至極当たり前のことなんじゃないかと思っています。