売るためにはどうするか、マスコミに売れなきゃいけない

三宅「当然、劇団を売っていかなきゃいけない。売るためにはどうするか、マスコミに売れなきゃいけない。劇団が売れるためには劇団の誰かが売れなきゃいけないというので、自分がマスコミにどんどん進出していったわけです。

 それが、ラジオをやり始めたらおもしろくなってしまって、聴取率を上げようと熱中。テレビをやりだすと、テレビのプロたちと一緒に番組を作っていくことがおもしろくなって“この番組でいい視聴率を取って、みんなでワーッと盛り上がりたいな”という方向に、当然いくわけですね」

 1982年、32歳のときにはじまったラジオ番組『三宅裕司のヤングパラダイス』(ニッポン放送)を皮切りに、メディアから引く手あまたになった三宅さん。

 テレビでは、1986年から1992年まで続いた『テレビ探偵団』(TBS系)で司会者としての才覚をあきらかにすると、『平成名物TV・三宅裕司のいかすバンド天国』(1989年~1990年、TBS)、『驚きももの木20世紀』(1993年~1999年、テレビ朝日系)、『THE夜もヒッパレ』(1995年~2002年、日本テレビ系)、『どっちの料理ショー』(1997年~2006年日、本テレビ系)……と、引く手あまたの名司会者となった。

 だが、売れっ子になると同時に向きあうことになったのは「劇団のことを考える時間を取らなくなった自分」だった。