わざと立ち回りを見せました

三宅「あらゆることを全部考えて、“俺はもともと、劇団を売ろうと思ってマスコミの仕事をしたんじゃないのか。喜劇を、そしてエンターテイメントの舞台をやるのが大元だったんじゃないのか。そうだ、そうだったな”と。

 それがわかってから、東京のコメデイを作ることをメインにしていこうと、考えたんですね。CHANGEでしょう?」

 病気をきっかけに、大きなCHANGEが訪れた三宅さんは、2012年1月1日、ラジオ番組『三宅裕司のサンデーヒットパラダイス』(ニッポン放送)の生放送で復帰。舞台復帰作は、同年6月に上演した座長を務める演劇ユニット「熱海五郎一座」の『落語日本花吹雪~出囃子は殺しのブルース~』だった。

三宅「ここでわざと立ち回りを見せました。“私はもう大丈夫です”ということを伝えるために。そうしたら2014年、新橋演舞場に進出することが決まったんです。病院で“東京喜劇をやらなきゃ”と思っていたところの新橋演舞場ということで、感慨深かったですね」

 大正14年に立てられた、東の芸が集約した歴史深い場所は、三宅さんにとって思い出深い場所でもあった。

三宅「大学生のとき、おばあちゃん孝行で、おばあちゃんを新橋演舞場に連れていったんです。喜劇を観せてあげようと思って。で、観たのが、藤山寛美さんの松竹新喜劇。そのときに“なんで銀座の劇場で大阪の喜劇をおばあちゃんに見せようとしたんだろう、東京の喜劇はやってないのか”と思っていたんです。それで、その何十年後かに東京喜劇で新橋演舞場の進出が決まって」

ーー伏線を回収したような感覚ですね。

 三宅さんは「改めてそれを思い出しましたね」としみじみと噛みしめるように話してくれた。三宅さんにとって、脊柱菅狭窄症は恐怖とともに、得がたい感情を呼び起こしたのかもしれない。

■三宅裕司(みやけ・ゆうじ)
1951年5月3日生まれ、東京都出身。1979年、ミュージカル・アクション・コメディーを旗印に劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」(SET)を結成。『三宅裕司のヤングパラダイス』(ニッポン放送、1984年~)、『三宅裕司のイカすバンド天国』(TBS系、1989年~)、『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ系、1995年~)をはじめ、数々の番組を盛り上げるマルチエンターテイナー。俳優として映画『壬生義士伝』(2003年)で第27回日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。2004年に東京の喜劇“軽演劇”を継承すべく伊東四朗一座を旗揚げし、出演と演出を行う。2006年に熱海五郎一座を座長として旗揚げ。SET最新公演『ラスト・アクション・ヒーロー~地方都市に手を出すな~』(第61回本公演)が10月19日~10月29日までサンシャイン劇場で上演。

公演情報
劇団スーパー・エキセントリック・シアター
第61回本公演
「ラスト★アクションヒーロー〜地方都市に手を出すな〜」
10月19日(木)〜29日(日)
池袋・サンシャイン劇場にて上演
https://www.set1979.com/stage/2023/