日々マスコミに追われ、バッシングの渦中に身を置く
君島十和子(以下、君島)「あちらは、私の印象はとても悪かったらしいんですけどね」
ーーそんな感情が、恋心に変化する過程があったのですね。
君島「私は、仕事の過程でリスペクトするうちに、ですね。オーナー社長がデザイナーである君島一郎という強い個性のある人物で、その息子でありながら、100人単位の女性社員の中で仕事をするという、すごく厳しい環境にもかかわらず、とても穏やかに振る舞っていたんです。
特に、年上女性に対するリスペクトがすごくて、“こんな人初めて見た”と思いました。当時30歳くらいの主人が、マダムの歳を重ねた美しさをとても尊重し、語っていたんです」
誉幸さんの稀有な感性に惹かれた君島さんが、入籍を発表したのは、1995年12月11日。そのときは、のちに君島家の“お家騒動”に巻き込まれ、日々マスコミに追われ、バッシングの渦中に身を置くことになるとは、露ほども思わなかったという。
ーーご本人たちは、いたって普通に恋愛をして結婚をしたのだと思います。なぜそんなことになってしまったのでしょう。
君島「ひとつは、それまでのワイドショーはオウム真理教一色だったのに、教祖の逮捕をきっかけに、しばらくして報道が止んだタイミングだったからだと思います。私たちの話が、格好のネタになってしまったんでしょうね」
ーーいまで言う“炎上”だと思いますが、SNSがない時代のそれは、どんなふうに身に降りかかるのでしょう。