漫画を描くことから離れたのは「モテたかったから」
ーーたしかに! 手袋の部分が『ドラゴンボール』っぽいですね。
「はい。サイヤ人がつけてる手袋なんです。で、頭がスーパーサイヤ人っぽい。悟空まで描けなくてもこれなら描けるから、これが俺の悟空だ! と大根マンを連載していました」
ーーどのくらいのペースで連載していましたか?
「そんなふうに聞かれると『大根マン』の先生だと思われる(笑)。ペースは決まっていなくて、ノートに描いたら友達に見せる、という感じでした」
『ドラゴンボール』の影響を真っ向から受けたかっぴーさんだったが、その後、「絵はほとんど描かなくなった」と話す。
「中高生の頃には絵はほとんど描いていなくて、ずっとマンガから離れていたんです。ちょこちょことは描いてはいましたが、人に見せることはなくなりました。なぜかというと、モテたかったんですよ。クラスで、机に向かってマンガを描いているとあまりモテない、と気づいたので」
多感な時期ゆえの健全な反応を示した一方、“絵を描くこと”に対する意識の変化が生じたのも、このころだった。
「高校生のときですね。クラスメイトは僕が絵を描いているのを知っていたので、文化祭のクラスTシャツを作るときに“おまえ、絵が上手いんだから描けよ”みたいに言われて。在籍していた学科が国際科だったので、地球を描いたうえで“地球上は全部繋がっている”というメッセージを込めてみたんです。
そしたら、評判がよかったんです。それだけじゃなくて、ちょっといがみ合っているような不良グループの人たちも、僕が作ったTシャツだと知っているのに文化祭が終わってからもずっと着てくれて。気に入ってくれたんでしょうね」