「アマゾン川でピラニアと一緒に泳いでも、辛いとかしんどいとか思ったことはないです」

「赤井さんにとっての人生が一番変わった、という出来事、THECHANGEはなんですか?」と質問すると、秒もかからないカウンターで、「どついたるねん」という答えが返ってきた。

赤井「25歳で引退して、どついたるねん撮ったのは30ですからね。もうその5年間っていうのは本当に長い5年でしたし、希望もなかったりとか、この映画で絶対この映画を成功させるという気持ちで、もう酒飲んでずっと85キロ、86キロになっていた体重でおったんですけど、監督にまず痩せろと。そんな腹のボクサーはいてない。それではカメラ回されへん、と言われて」

 その減量は過酷を極めた。

赤井「最初話をいただいたんが1988年の11月くらいだったと思うんです。それで、クランクインが89年の2月5日だったんですけども、はかりの上に乗っているシーンがあるんですけども、あれが一番落ちてた時で67キロまで体重を落としたんです。20キロ弱ですね。

 今日はコップ3分の1だけ飲めるな、明日はまったく口に入れられないなとか、そんな状況で。ボクシングだったら体重を減らしていって試合、計量終わったらバーって食べられるじゃないですか。

 だけど、あの映画の時は明日は増やしてこい、明日はは減らしてこい、シーンによってバラバラだから、減らして頑張りきるんじゃなくて、減らしたり増やしたり」

佳子「それはしんどいよね。 倒れたって言ってたね」

赤井「ポスター撮る時にバーン!フラッシュで意識飛んで撮影が4時間中断しました。あの絞った体で、また体を作るためにトレーニングしたりとか、脳に酸素がいけないようなやつだったから。試合のシーンでも、なんか後ろにバーンって倒れて」

ーーえーっ!

佳子「怖いですよね。めちゃくちゃ怖いですよね。だから、ちょうどよくできないんですよ」

赤井「その時の撮影が止まりました。この『どついたるねん』がデビューだったから、アフリカ行ってもアラスカ行ってもどこ行っても。アマゾン川でピラニアと一緒に泳いでも、辛いとかしんどいとか思ったことはないです。

 ゴリラを目の前にして、目が合ってもおれましたし、マイナス40度のアラスカでずっとヒグマを探しに行ったり、まあ過酷なこと、いろんなことをやりましたけども、全然しんどいとは思いませんでした」

 まさに、赤井さんの人生を変えたTHE  CHANGEは、『どついたるねん』だったのだ。

■プロフィール
赤井英和(あかい・ひでかず)
1959年8月17日、大阪府大阪市西成区出身。浪速高校入学と同時に先輩に半ば強引にボクシング部に入部させられる。下働きの日々を経て、夏の国体予選にいきなり出場し、優勝。これを機に技術をつけたくて「朝は4時、5時から走って。高校の時がいちばん練習してた」という日々を送り、ボクシングの名門・近畿大学に進学。80年にプロ入りし、デビューから12戦連続といKOという偉業を達成。その攻めのスタイルから“浪速のロッキー”と呼ばれ、大阪中から絶大な人気を獲得。85年2月5日、大和田正春との試合で7ラウンドKO負け。急性硬膜下血腫、脳挫傷で意識不明の重体となり緊急手術。奇跡的に一命をとりとめるが、ボクシングからは引退。88年に半生を書いた『どついたるねん』を出版。89年、同書をもとにした阪本順治監督の映画『どつたるねん』に主演し、俳優としてデビュー。以降、映画、ドラマ、バラエティなどに出演多数。妻・佳子が運営するツイッターアカウント「赤井の嫁」は、絶大な人気を誇り、投稿の内容をまとめた『赤井図鑑』(扶桑社)が2021年に出版。