海外のアーティストのフロントアクトで話題に。60歳となった今後の夢は

 レピッシュは、当時としては珍しい海外のアーティストのフロントアクトを務めている。

「07年、フィッシュボーンの初来日の時は、日高さん(*日高正博、『フジロック・フェスティバル』を主催する株式会SMASH代表取締役社長)から、“フィッシュボーンのオープニングアクトをやってほしい”って言われて、渋谷公会堂のステージに立ちました。そのときに、“踊っている人がいる! ”って思ったら、フィッシュボーンのメンバーが客席で踊っていました」

――海外で活動することは考えなかったのですか?

「海外進出は、一時期考えたこともあったけれど、メンバーはそんなに興味がなさそうだった。でも『MANO NEGRA』(マノ・ネグラ)というフランスのバンドが、日本でデビューしたときに、一緒にツアーについて回ったんです。

“また一緒にやりたいよね”って言ったら、“フランスに来れば”って言われた(笑)。そういう経緯から、フランスでのツアーに同行して、イギリスでもライブをしました。ポーランドでライブをした時には、目の前にワレサ議長(レフ・ヴァウェンサもしくはワレサ。ポーランドの政治家)もいましたね」

MAGUMI 撮影/松野葉子

 レピッシュのライブを一度でも観たことがある人は、その熱量に驚かされるだろう。あのパワーはどこから湧いていたのだろうか。

「ライブの時はいつも、勝ちに行っていました。ほかに出演者がいた場合でも、“あのバンドには負けたくない“とかではなくて、意味も分からず周りを制圧したい。そう思ってやっていましたね。当時のフロアの反応も、空回りするか、がっちりハマるかのどっちかだった。ワーって盛り上がる人もいれば、最後までどうしてよいのかわからずおどおどしている人もいたり」

MAGUMI 撮影/松野葉子

 今なお、止まることなく音楽活動を続けているMAGUMIさん。今後の目標を聞いてみた。

「ライブ活動がないと寂しいから続けていきたい。あとは配信ではなくて、やっぱり盤を出したいよね。アルバム文化っていうものを残したい。山あり谷ありクロード・チアリ(笑)。

 アルバムの中で谷に思えた部分が、3カ月後くらいに好きになったりする。そういうような経験をたくさんしてきた。だからこそアルバムを残したいよね。世の中シングルばかりっていうのも気持ち悪いなって思う」

 今もなお、音楽活動の制作意欲を絶え間なく持ち続けているMAGUMIさん。これからもレピッシュやソロ活動と幅広く音楽を続けていくのだろう。

MAGUMI(まぐみ)
1963年生、熊本県出身。ミクスチャーバンド・LA-PPISCH(レピッシュ。“A”はウムラウト付き)のボーカル、トランぺッター。87年にシングル『パヤパヤ』でメジャーデビュー。レピッシュは05年に活動休止をするも、07年に活動再開。バンド・MAGUMI AND THE BREATHLESSのボーカルも務めている。