マスコミにつけられた悪いイメージ

ーー俳優のなかで唯一無二の存在であることは揺るぎないです。

 「僕が麻雀に賭けてきたこの何十年間は、ほんとうに唯一無二だし、誰にも負けるものじゃないと思うんです。そこには自信があります。最初のころはいろいろ言われましたけど」

ーーネガティブな声があったんですか。

 「遡れば、麻雀のイメージはすごく悪かったわけですよ。酒、タバコ、徹夜ーーろくでもないゲームだという印象もあったんです。30年前、僕が初めて麻雀の大会に出たとき……あれ? 双葉社さん?」

ーーはい、このメディアは双葉社ですけど……。

「……双葉社さんだったよな。そうだ、双葉社の雑誌が主催していた『麻雀名人戦』というのがあって、それに“出ませんか?”と言われたのがきっかけなんですよ」

ーーそうだったんですか! 弊社がきっかけ!

 「責任取ってください(笑)。それに出て、ちょっと勝ったんですよ。そのときにプロの人たちがプレイヤーの後ろで見ていて、何をツモって何を切っていくか記録を残すんです。そしたらその人たちが“ちゃんと麻雀打てるんだね”と認識してくれて」

 それは、1993年のこと。萩原さんは22歳だった。

 「当時麻雀をやるのは、めちゃくちゃリスクが高くて。要は、イメージが悪いんですよね。今の世の中もそうですが、昔はもっと、“本質”よりも“イメージ”が大事で。麻雀はイメージが悪かったけど、それでも僕は麻雀のおもしろさにどんどんのめり込んでいったんです」

 以降、ほかの麻雀メディアにも顔を見せるようになった萩原さんだが、「若手の人気俳優が麻雀を打てたとしても、悪いイメージしかなかった」と振り返る。

「実際、むりやり悪いイメージをマスコミにつけられました。“ギャンブル好き!”とか。“麻雀好き”じゃなくてね。だから、そうじゃなかったとしても、そういうイメージがついちゃうんですよ」

ーーそんなに書かれてしまったんですね。

「30年くらい前はね。それでも僕は好きだから、麻雀を辞めるという選択肢はなくて。麻雀によって失ったものはいっぱいあったでしょうね。でも、30年経ち、続けていた成果がいま帰ってきたのかな。
 同時期に『THEわれめDEポン』にもずっと出させてもらって。僕は麻雀のおもしろさを伝えたいと思ってそういうメディアに出ていて、少なくとも伝わった部分もあると思っています。僕みたいな稀有な存在が出ることで、番組を見る人が増えたならそれでいいと思いますしね」

 現在は「TEAM RAIDEN/雷電」のメンバーとしてMリーグを盛り上げているが、「別に勝ったところでなんもない。個人レベルで言えば、ただの自己満足」と冷静に言う。

 「自分が勝つことよりも、見る人が増えて、“麻雀、おもしろいな”と思ってくれる人がひとりでも増えればそっちのほうがうれしいです。勝ちたいけどね」

ーー逆に、“プロ雀士・萩原聖人”から入って、のちにドラマや映画作品を初めて観る方もいるのでは?

 「結構いるんですよ。僕なんかもうおっさんですからね、若い子は知らないわけですよ、僕がブリリアントだった時期をね」

ーーブリリアントな萩原さん(笑)。『若者のすべて』のころの。

 「そう。麻雀から僕を知った人には、当時にしか作れなかった自由度の高い名作がいっぱいあるので、そういう作品を観るきっかけになってくれたら、単純にうれしいです」

 麻雀から名作ドラマへ。30年前、ネガティブな声にうんざりしていた萩原さんだが、まさか両者の架け橋になるとは思いもよらなかったにちがいない。

■萩原聖人(はぎわら・まさと)
1987年に俳優デビュー。90年、テレビドラマ『はいすくーる落書2』(TBS)で注目を集め、93年、『学校』(山田洋次監督)、『教祖誕生』(天間敏宏監督)、『月はどっちに出ている』(崔洋一監督)で日本アカデミー賞優秀新人俳優賞と話題賞(俳優部門)、95年、『マークスの山』(崔洋一監督)、97年には『CURE』(黒沢清監督)で同賞優秀助演男優賞ほか数々の賞を受賞。以降もドラマ、映画、舞台、ナレーションなど幅広く活躍している。2024年1月11日より「牙狼<GARO> ハガネを継ぐ者」(TOKYO MX・BS日テレ)、1月21日より「厨房のありす」(日本テレビ)の放送を控える。

特撮ドラマ『牙狼<GARO> ハガネを継ぐ者』
原作:雨宮慶太
監督:松⽥康洋、⽥中佑和、⽊村好克
アクション監督;鈴村正樹
脚本:兒玉宣勝、吉﨑崇⼆
出演:栗山航、仲野温、中澤実子、黒谷友香、萩原聖人
放送期間:2024年1月~3月
放送局:TOKYO MX、BS日テレ
製作/制作:東北新社