『チューボーですよ!』を降ろされて
外山さんは98年に入社。その翌年には、当時、人気だった雨宮塔子アナウンサー(53)の後を受け、堺正章さん(77)が司会を務める『チューボーですよ!』の2代目アシスタントに抜擢された。そのプレッシャーはかなりのものだったようだ。
外山「アナウンサー研修で自分の力不足を痛感したんです。当時の私はちょっとお気楽だったなって感じで……。アナウンサーになって、たくさんの人が受けているのにそれで受かるってすごいねって言われたんです。でも私はそのたくさんの受験者を見ているわけじゃないですし、すごいって意味が分からなかったんですね。
ただ、私を誘ってくれた友達もそうですし、試験中も“この子がアナウンサーになったらいいだろうな”と思った子も落ちているし、それを考えたらすぐにはやめられないなっていうのはありました」
周囲が思っていた以上に追い込まれていた外山さんは、遠まわしにSOSのアピールもしたという。
外山「『チューボーですよ!』が決まった時点で、インタビューがけっこう組まれるんですよ。そこで“雨宮さんみたいにはできません”と言っていたんですけど、謙遜だととられていたみたいで。その当時は、正直、キツかったですね」
本人が懸念したように、外山さんは制作側が期待したふるまいができず『チューボーですよ!』は半年ほどで早々に降ろされる。さらに『どうぶつ奇想天外!』のアシスタントも務めるが、こちらもすぐ降板してしまう。
外山「そりゃ、そうですよ。やりたい人は私のほかにいたんだから、私が無理してやるより、その人たちがやるべきだったんですよ」
外山さんはその後、ラジオをメインの仕事にしたことで、押しも押されもせぬ人気アナへと成長。今では「ラジオが大好き」と公言している。入社してすぐの挫折だったが、それがあったからこそ、現在の外山さんがあるのだろう。
外山惠理(とやま・えり)
1975年東京都墨田区生まれ。慶應義塾大学を卒業後、1998年にTBSへアナウンサーとして入社。入社2年目からテレビのバラエティ番組に起用されるも、その後はラジオを中心に活躍。『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』のアシスタントを長く務める。現在は『金曜ワイドラジオTOKYO えんがわ』のパーソナリティのほか、アシスタントから街頭リポーターまで、幅広く活躍している。