思い切りのいい発言と、とにかく明るい笑い声で、ラジオリスナーから圧倒的な支持を得ている外山惠理アナウンサー(48)。外山さんの番組には、いつも春の陽射しのような温かさが満ちあふれている。しかし、その温かさは数々の壮絶な「CHANGE」を経たからこそ、生まれたものだった。【第2回/全5回】
そもそも就職するつもりがなく
今も昔もアナウンサーは人気の職業で、各局2、3人の採用という狭き門に、毎年、多くの人が応募する。1998年にTBSに入社し、みんなが憧れる職業についた外山惠理アナウンサー(48)だったが、本当はアナウンサー志望どころか、就職するつもりもなかったという。
外山「あまり言うといやみったらしいなと思うんですけど、企業に就職するのではなくて、幼稚園や保育園の先生になりたかったんですよ。大学で教職免許を取ろうとしていたんですね。でもそれは中学校や高校の先生になるためのもので、幼稚園や保育園とは違うということに途中で気がつきまして。あまり説明を聞かないタイプなんですよ。だから、大学を卒業してから、幼稚園や保育園の先生の資格を取ろうかなと考えていたんです」
なんともお気楽だった外山さん。しかし、その計画は友人の言葉で変わっていく。
外山「休みの日に、大学で友達になった女の子とお茶していたんです。そこで“就職どうするの?”って聞かれたから“しない”って答えたら、“ずっと親のスネかじって生きていくんだ”って言われたんです。あぁ、そういうふうに見えているんだなって。その子がアナウンサー志望で、“今度、試験があるから受けてみなよ”って誘われて、一緒に資料を取りにいって、それがそもそもの始まりでしたね」
ライバルが増えるにもかかわらず誘ってくれた、その友人。外山さんは、彼女のことを信頼していたという。もし彼女の言葉がなかったら、アナウンサーにはなっていなかっただろう。