「とてもじゃないけど、この人たちとは戦えない」デビュー前の挫折
トモ「月亭方正さんがいたTEAM-0さん、3人組で人気のあったインパクトさん、それから極楽とんぼさんにココリコさん、本田みずほちゃん。そこに僕みたいに一般オーディションで受かった人が入って、一緒に稽古して芝居してました。ゲストで間寛平師匠や宮川大助・花子師匠がいらっしゃることもありましたね。当時、テツはその舞台を見に来てたね」
テツ「そうそう。単純に“友達が吉本に入ってお芝居をやる”っていうから見に行ってました」
トモさんは大学時代から友人とコンビを組んでTBSの深夜番組『星期六我家的電視・三宅裕司の天下御免ね!』の素人オーディションに出場したり、お笑いライブを主催したりしたこともあった。
トモ「だから、お笑いはずっと近い距離にはあったし、もちろん好きでした。でも吉本に入ったら本当に周りのみんながすごかったんです。ふだんの会話のテンポもそうだし、舞台の上ではもちろん台本があるけど、その表現力やアドリブがとにかくすごい。僕も芝居はやっていたけれど笑わせるための芝居じゃなかったし、とてもじゃないけどこの人たちとは戦えないと思いましたね。2年ぐらいお世話になって“やっぱり僕はお笑いは無理です”と言って辞めたんです」
一方のテツさんは「完全な“見る専”でした」という。
テツ「小さい頃から歌が好きだったので、音楽で笑わせる人はすごいと思ってました。かしまし娘さんみたいな、楽しい音曲漫才が当時から好きでしたね。そういう人に憧れてはいましたけど、お笑いをやるなんて考えたことなかった」
事務所から誘いを受けた二人は2か月悩む。トモさんが「僕はお笑いは一回辞めたわけだし、テツは本当に真面目な青年で、まったくそういう気質じゃないこともわかっていましたから、断り続けてました」と言うのに対し、テツさんは少し違った思いを抱いていたという。
テツ「トモの相方としては僕は4人目なんです。なんていうコンビ名でどんなネタをやっていたのか、前の3人とのコンビを全部見てました。吉本を辞めた経緯も知っていたけど、もし本当にお笑いをやることになったら、僕一人では絶対無理でも、トモがいればなんとかなるかなって思ってましたね」
結局、二人は「やってみようか」と誘いを受ける。1998年2月、お笑いコンビ・テツandトモがこの世に産声を上げた――。
テツandトモ
●中本哲也(なかもと・てつや)
1970年5月9日生まれ。滋賀県出身。
●石澤智幸(いしざわ・ともゆき)
1970年5月10日生まれ。山形県出身。
日本大学藝術学部演劇学科の同級生同士で1998年に結成。1999年の放送開始と同時に『爆笑オンエアバトル』(NHK)に出演し、常連に。『M-1グランプリ』2002年ファイナリスト。2003年に『テツandトモのなんでだろう~両さんバージョン~』などをきっかけにブレイク。現在もお笑いと歌で全国各地のイベント等に出演を重ねる。レギュラー番組に『テツandトモのなんでだラジオ!』(山形放送)がある。
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