1980年代、漫才ブームの最中に大ヒットとなった伝説のバラエティ番組『オレたちひょうきん族』(フジ)。その中の一つのコーナー「ひょうきんベストテン」の司会、ひょうきんアナ(二代目)を務めた寺田理恵子さん。それまでの女子アナウンサーの概念を崩し、元祖“アイドルアナウンサー”(通称“アナドル”)として、アイドルばりの活躍で人気を誇った寺田さんにとってのTHE CHANGEとは──。【第3回/全4回】

寺田理恵子 撮影/有坂政晴

 

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 2度目の結婚での夫と死別。

「2012年に夫を亡くしてから、いま思うと精神的にボロボロだったんです。食べられないし、体重もものすごく減ってしまって、筋力も衰えてフラフラでしたし、血圧も上がってしまいました。とにかく体が酷い状態で認知機能も落ちてしまい……。そういう状態が一年ぐらい続きました。そんな時にアナウンサーの生島ヒロシさんに声を掛けてもらったんです」

 寺田さんと生島さんとの出会いはこの時が初めてではなかった。実はフジテレビを辞めてフリーになっての第一歩となった仕事が生島さんが司会を務めた朝の報道番組『ビッグ・モーニング』(TBS)でのアシスタントだった。つまりは、寺田さんの人生の節目節目(ターニングポイント)には生島さんの存在があった。

 このころ、生島さんとの出会いの他にもう一つの出会いがあった。それが“音読”だった。

「すべての点でボロボロだった時に音読することで体が徐々に回復していったんです。同時に精神的にもやる気が出てきたら、人とつながる機会が増えていって、人生が随分と変わったんです」